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杉並区の公園は、八月いっぱいまで花火ができる。ということで、八月最後の思い出づくりをしてきた。


明寿香が「自分たちはイワモトさんと普通に話すけれど、上の代の先輩たちは少し緊張している」と話していた。

明寿香や大介、唯菜は、僕が大学院にいた頃の学部生だ。僕は一度社会人を経験してから進学したため、彼らとは一回りほど歳が離れている。大学院生というポジションは学部生の縦社会から少し浮いていたこともあり、僕らは互いにフラットに話すようになった。けれど、彼らの先輩にあたる代は、僕と在学期間が重なっておらず、その人たちにとって僕は「先輩の先輩」になる。だからどうしても緊張感が生じるのだという。なるほど、これは面白い発見だった。


僕は、一人の人間が、置かれる文脈によってまったく異なる接され方をしているのを見るのが好きだ。人間関係は少し混沌としている方が美しいと思うし、自分自身もできるだけ多くの相対性が重なり合う場所に身を置いていたいと思う。

中学校の頃、恐る恐る接していた部活の厳しい先輩が、ふらっと現れたOBに小さくなっている姿。同級生の家に遊びに行ったとき、学校でのキャラクターからは想像もつかないような扱いを家族から受けている姿。こういう光景に出会うと、何だか嬉しくなってしまう。平野啓一郎のいう「分人」的なものを実感するからだ。高校時代には、友人が後輩から妙に馴れ馴れしく話しかけられていて不思議に思っていたら、中学時代の元恋人だった、なんてこともあった。

ある人が、高校の友人からは当時のあだ名で呼ばれ、大学の友人からはまた別の呼び名で呼ばれ、職場の同僚からは敬称付きで呼ばれている。そんな光景を目にすると心が躍る。家では子どもから「お父さん」と呼ばれ、パートナーからは聞いているこちらが照れてしまうような愛称で呼ばれているのかもしれない、と想像が広がっていく。

人間は、たったひとつの「本当の自分」という固定された存在を生きているわけではない。誰といるか、どんな関係性の中に立つかによって、立ち現れる人格がくるくると変化していく。相手によって、あるいは時間や場所によって、幾重もの顔を使い分けながら生きている。多面体のように変化するその姿こそが、人間の持つ豊かさなのだと思う。

アメリカから経済制裁を受けた、ICC(国際刑事裁判所)の赤根智子所長の会見を見た。17:40 あたりからの質疑応答がおすすめ。かなり見応えがあった。


赤根所長の態度からは「法の支配を重んじるスタンス」がひしひしと伝わってくる。

繰り返し「ICCは特定の政権と敵対するものではない」と話していて、トランプ政権についても「アメリカが主張するような、ICCが国際法を悪用して独立した国家の主権を奪っているという事実はありません」「従って制裁を受ける理由もありません」と説明するまでだ。

「赤根所長を突き動かすもの、原動力は何ですか」という記者の質問に対して「ICCの法的枠組みの中で全力を尽くすのが裁判官の役目です」「それ以上の特別なものはありません」と答えていたのも、「人よりも法」という意識が感じられる。

もちろんヒロイズムに浸っているとか、英雄視されることを望むようなパフォーマンス的な発言は微塵もない。こういう態度が敬意を集めるんだろうな。


大国による国際法の軽視(ロシアのウクライナ侵攻、中国の南シナ海の領有権主張、アメリカのベネズエラ、イランへの攻撃など)が深刻化し、第二次大戦後のスキームに綻びが生じている。

この状況における必要なのは、カナダのカーニー首相がダボス会議で言っていたような「ミドルパワーの結集」であったり、国際機関のプレゼンスを高めること、法の支配を徹底すること(国家間のパワーバランスに依存しない、恣意の入りにくい制度によって支配されることを目指したい)、各種国際的な枠組みへの加盟国を増やしていくこと、なのだろう。


赤根所長に対する制裁の撤回を求める署名に賛同した。とりあえず今できることとして。

ICCの赤根所長に対する米国による制裁の即時撤回を求めます。日本政府は制裁を拒否し、赤根所長を支持・保護する具体的行動を取ってください。(Change.org)

岩崎桃子の『ぴかぴか』というアルバムがとってもいい。ここ数日、繰り返し聴いている。

真空ジェシカとオズワルドのツーマンライブ「笑い屋キャリー」を見てきた。

野方区民ホールは地下にあるため、電波が入らない。つまり配信ができない。よってオフレコトーク満載の会となり、控えめに言って最高の時間だった。


帰り道、「せっかく野方まで来たのだから」という言い訳を自分にして、野方ホープ本店へ。

大量の油分を摂取する現実から目を背けるようにして若林正恭の小説『青天』を読みはじめる。主人公がクラブのモッシュでムカつく奴らにタックルをしかけるというシーンでグッと引き込まれ、そのまま歩いて高円寺駅の北口広場に移動し、高円寺的な喧騒の中で読み続けた。作中には中央線沿線の街がよく出てくるので、これはなかなかオツな読書体験であったと思う。


『青天』は、他人と距離を置きがちな主人公・アリが、アメフト部での経験を通じて、徐々に他人に「ヒット(アメフトで、相手に体当たりをして衝撃を与えるプレーのこと)」することを覚えていく成長物語。自信をつけていくこと、自分を好きになることが描かれている。

物語の構造として、倫理の教師・岩崎の話と、アメフト部での活動が呼応しているのが特徴的で、よかった。ヤスパースの「彼が彼自身でなければ、私は私自身にはなりえない」という実存的な交わりについて、岩崎は「自分が本当のことを言わないと、他人も本当のことを言わないってこと」と説明する。アリはこれを聞いて、少しずつ部員たちに本音をぶつけるようになっていく。易経の陰陽魚を見せて岩崎が「大きな怖さの中に小さな勇気がある」と説明する場面でも、アリはアメフトの試合中の感覚と重なってハッとする。

最後の方に、カミュのシーシュポスの神話について、アリがアメフトをやっているがゆえの新解釈を生み出し、岩崎を感心させるシーンがあって、このあたりはグッときた。というか、アリと岩崎先生の会話はどれもずっとよかった。RCサクセションの「僕の好きな先生」など、落ちこぼれとそれを気にかけるはぐれものの先生、という関係を見ると「ああいいなあ」と思ってしまう。自分にも同じような経験があるからなのか、それとも割と一般的な感性なのだろうか。


特に一番好きだったやりとりを引用しておく。アリたちは、圧倒的な実力差があり、100%勝てないと思う高校との試合を控えながらも、なぜか一生懸命練習することをやめられない。そんな局面でのやりとり。

「あ……! 前に話したことあったっけ? カミュのシーシュポスの神話の話」

「いえ、多分、聞いてないです」

「神話なんだけど、シーシュポスっていう人が、神々から大きな岩を山のてっぺんまで転がして運ぶっていう罰を受けるのよ。で、シーシュポスは言われた通り、岩をてっぺんまで運ぶんだけど、運んだ途端、岩がまた平原まで落とされちゃう。勝手に落ちるのかな? とにかく落ちる。でも、シーシュポスはこの不条理な労働を運命だと受け入れて、平原まで下りて行って、またてっぺんまで岩を運ぶのよ。何度も何度も。永遠に。運んでも何もならないのに。なんでだと思う?」

「何もならないのに……」リプトンの紙パックの中身はすでに空だった。

「ここからは私の解釈なんだけど、運命、それを神からの制約だとしましょうよ。あなたがその遼西高校に、絶対に勝てない存在であることが運命だとして、それにあなたの意志で抗うことは、たとえその運命が変わらないとしても、自由を行使するということ。運命は神が作った制約だとしても、なぜか運命に抗うことは神も止めることができない。人間に決定権がある。だったら、その自由を行使するってことが、自由に生きるってことなんじゃないかしら?」

「運んでも何もならないのにですか?」

「運んだら何かになることばかり社会も学校も勧めるわよね。でも、たとえば、大学受験の勉強をしている最中に死んでしまったら、その勉強は無意味だったか? もし、無意味だと言う人がいたら、その人はきっと結果の世界の住人よね? でも、もし、勉強そのものが楽しくて、この際もう楽しくなくてもいいわ、主体的にその人が勉強をするんだと決めてやっていたら、ごめんね、物語の結末を言うわね。その人のことを幸せな人だと思わねばならぬ、とカミュは言うのよ」

なんの前触れもなく、突然、蛇口を捻られたように涙が溢れ出した。

岩崎が節くれだった手で机の上のクリネックスを取って、目の前に差し出す。その所作がとても洗練されていて、岩崎の人生でこういうことが何度かあったんだろうなと思った。

「負けるのはわかっていて、それでもあなたの意志で毎朝タイヤを押しているなら、それを自由と呼ぶんじゃないかしら? 自由に生きるってことなんじゃないかしら?」


第二回「鴫原杯」ということで、海野と内野と麻雀を打ってきた。去年の夏に亡くなった鴫原さんを偲ぶという名目で、こうしてときどき十条の鴫原邸に集まって卓を囲んでいる。

年始に開催した第一回のときは、まだ鴫原さんが使っていた仕事道具や生活の欠片が部屋の隅々に残っていたが、今日訪ねるとそれらは綺麗に片づいていた。


鴫原さんの遺影に挨拶し、線香をあげて洗牌をはじめる。

カチャカチャと牌を混ぜながらの近況報告。海野は三歳になった娘とよく侍従川で魚を突いているそうだ。最近は大きなクロダイを獲ったという。内野は長年勤めた塾講師を辞め、小説を書いて文藝賞に応募した。一年くらい無職でぼうっとしようと思っていたらしいが、縁あって家庭教師として一人の受験生を見ているとのこと。

こういうかんじの麻雀が好きだ。僕は麻雀というとフリーが多いので、まず友達と打つのが楽しいというのもあるが、それより何より「手積み」が大事な要素だと思う。自動卓で打っているときよりも会話が生まれる余白が大きい。

局が終わって山を崩し、牌を混ぜ、積み上げているときに、先ほどまでの緊張がほぐれ、短く感想戦が行われたりする。舞台裏とか、楽屋の雰囲気があっていい。やがてその空気がまた自然と戦いの雰囲気に移ろっていくのにも風情を感じる。

フロイトの快原理によれば、生物にとっての快は「興奮量の減少」であり、不快とは「興奮量の増大」であるという(一見、直感に反するところがこの説の面白いところだ)。例えば、性の快楽は、高まった興奮を最大限度まで高めてから一気に解消する「過程」にあると説明されている。オルガズムを得て興奮が一気にさめ、心身が安定した状態へ復帰するまでの一連のプロセスが重要なのだ。この理屈を借りれば、自動卓での麻雀には「興奮量の減少」にあたるフェーズが極めて短く、前局の興奮を引きずったまま次局が開始されてしまうところがよくない、といえるだろう。効率を求めた結果、全体のプロセスを壊してしまっている。

数日前、新宿のジャズバーで Uboat が、タバコを喫う時間やコーヒーをドリップする時間を例に挙げながら「間を生む行為」の価値について話していた。Uboat は「丁寧な暮らしとは、間を生むことである」とも言っていた。こういった行為も、生活の中の「興奮量の減少」を担うパートなのかもしれない。


ハーフタイムになると、さおりさんが鴫原さんの好物だった鮭チャーハンを運んできてくれた。うずらの卵とかぼちゃの煮付け、そして具だくさんの豚汁。鴫原さんの愛した味が、僕たちのお腹を満たしていく。

のんびりと三半荘を打ち終え、そろそろ引き揚げようかと話していると、ざああああと強い雨が降り出した。やがてすぐ近くの空で、ゴロゴロとわざとらしく雷まで鳴り響いてきた。

「高起さんが、みんなを帰したくないんだねえ」

とさおりさんがつぶやき、僕らも「本当に寂しがり屋だからなあ」などと笑う。


しばらくそうして和んでいたが、各々次の予定が迫ってきてしまった。覚悟を決め、雨の中を駅に向かって走り出す。傘は全く役に立たなかった。スニーカーの中が絶望的な冷たさでグショグショに沈んでいくのを感じる。

ふと、まだ鴫原さんが生きているときに、最後にこの家に来た日のことを思い出した。去年の年始のことだ。テツと二人で鍋を食べに来て、鴫原さんに「泊まっていったっていいんだぞ」と誘われたのを二人して固辞し、この道を走って終電に駆け込んだのだった。あの夜、慌てて帰る僕らを見送った後、鴫原さんはどんな夜を過ごしたのだろう。……


電車内で海野と内野と別れ、上野に向かう。3COINS でサンダルを買って履き替え、福田くんとさっちゃんと合流し、御徒町の中華『老酒舗』へ。僕が台湾にいてパーティーに参加できなかったので、あらためて二人の結婚祝い。

会話のなりゆきで、二人が出店予約している11月の文フリに相乗りさせてもらうことになった。福田くんとさっちゃんはそれぞれエッセイ集を販売するという。僕はここ最近撮りためている麻雀牌の写真集を出す。一冊の本にするにはまだ作品数が足りていないので、残り二ヶ月間で追い込まなければならない。


帰りの電車で、おいとこから薦められた川上未映子の短編集『ウィステリアと三人の女たち』を読んだ。

女性の身体に訪れる現実、嫉妬や執着、孤独といった内面の歪みを凝視するような作品だった。ファンタジー的な色合いが強いのに、現実的な話題が続いているのが面白い。正直、当事者としての実感から遠く、ピンとこない心理描写が多かったが、しかし読んでよかったなと感じた。直前まで、福田くんやさっちゃんと「経験を超えたものを想像すること」について話していたからかもしれない。

話のきっかけは「同質的な環境ではなく、多様な経験が得られる場に身を置くことの大切さ」が話題に上がったことだ。要するに、いろいろな経験をすることが大切だよね、という話である。もちろん、その考え自体に異論はない。けれど僕は二人に「自分の関心はもう少し別のところにある」と言った。それは、どうしたら人は「自分が経験したこと」だけに依存せずに考えられるのか、ということだ。

人間が経験できることには、物理的な限界がある。どれだけ多様な場に身を置き、知見を深めたとしても、二つ以上の身体を生きることはできない。例えば、僕は健康な成人男性であり、日本で暮らす日本人である。僕にとって障害を抱える人、女性や異なる性自認を持つ人、あるいは老人や子ども、日本で暮らす外国人が直面する現実は経験できない。

しかし、僕はそれらの立場に立って考えることができる。僕が特別なのではなく、人間には大なり小なりそういったイマジネーション、想像力が備わっている、ということだ。

自らの境界線を飛び越えるための想像力は、小説やドラマ、映画、演劇、漫画といった創作物から受け取ることができる。僕にとって『ウィステリアと三人の女たち』はまさにそういった作品だった。子どもの頃、父に「小説を読んでいると、自分とは違う考え方をする主人公が出てくるだろう。十冊読めば、十通りの考え方が分かる」と言われたことを思い出す。


人は、自分の肉体を超えた想像力を持つことができる。これを共通の前提であり、希望としたい。

これは自戒を込めて書くが、「裕福な育ちには貧困のつらさが分からない」「高学歴には学歴に悩む気持ちが分からない」「男性には女性の苦しみが分からない」と端から決めてかかってはならない。そうした態度は、人の持つ想像力に対する敬意を欠いた振る舞いだと反省されなければならない。

「あなたは経験していないから分からないでしょうね」といった態度の先には、決裂しかない。もちろん、同じ立場になければ、すぐには気づけなかったり、知らずに人を傷つけてしまったりすることはあるだろう。けれど、対話を諦めなければ、相手に想像してもらうチャンスは残されている。

相互理解とは、相手を想像しようという努めることと、相手もまた想像してくれるはずだと信じることによって成り立つのではないだろうか。


Dos Monos のツアーファイナルを観てきた。めっちゃよかった。

圧倒的な美学が駆け抜けていくところに、正面衝突したような衝撃、風圧。とにかくカッコよかった。

全国ツアーの最終日で、喉を気遣いながらラップしている様子だったが、その掠れた声がライブの情念的なものをより一層高めていた。


荘子itの語りはすべてよかった。

「昨日、夜中に車を運転しながら、おれの人生にとって大事な音楽って何かなと思って、小学生のときに兄貴の MD で聴いた BUMP OF CHICKEN の『ユグドラシル』を爆音で聴いたら、涙が止まらなかった」

「おれにとってのバンプと同じように、おれの音楽を楽しみにしてくれている人たちと明日会えるのかと思うと嬉しくってさ」

やっぱ『ユグドラシル』なんだよな。なんなんだろうなあれ。


終演後、一緒に観ていた Uboat と新宿三丁目の中華「九龍」へ流れ込む。腹を満たしてジャズバー「サムライ」へ。

帰り道、チャーリー・パーカーの『Jazz at Massey Hall』を聴いていたら、ヘッドホンから流れてくるライブのノリが今日の Dos Monos とそっくりであることに気づいた。これは発見だ。

「ぶっ殺してやる」という勢いで音を叩きつけ合う。火花が飛び散る。ディジー・ガレスピーのトランペットなんて、まるで TaiTan のラップと瓜二つじゃないか。

最近のオススメ漫画を開陳!


ウリッコ(殺野高菜/大森かなた)

https://pocket.shonenmagazine.com/title/03181/episode/433755

新宿・歌舞伎町のインターネットカフェを拠点に売春で日銭を稼ぐ少女が、漫画家を目指して奮闘する物語。創作の苛立ちや絶望、どっぷりハマっていく姿がめっちゃいい。


IGCガール(東和広)

https://comic-days.com/episode/12207421983770084607

授業をサボってゲームばかりしている女子高生が、自作ゲーム賞の落選をきっかけに本格的なインディーゲーム制作に挑む物語。これも創作に没頭していくときの心理描写がめっちゃ好き。『映像研には手を出すな』に通じるものがある。


島ロック(まの瀬/みはる)

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913049139528

過去のトラウマからバンドを辞めた少年が、離島での一人暮らしとクラスメートとの出会いを通じて再び音楽に向き合うバンド漫画。ジャンプ+はこういうサンデーとかアフタヌーンにあったような優しい漫画が載るのがいい。


ふたりバス(豊林サカネ)

https://www.sunday-webry.com/episode/2551460909779976003

別々の中学に進んで疎遠になっていた中学2年生の男女が、通学のバス車内での小さなきっかけから再び距離を縮めていくラブコメ。なんでこれが好きなのか自分でもよく分からないが、とにかくいい。

今朝、横浜高校の渡辺元智元監督が亡くなったという記事を読み、夕方 YouTube を開くと、甲子園で横浜高校が6-0で花巻東を破ってベスト4進出を決めたという動画が流れてきた。織田翔希というスターの存在もあり、今年の甲子園大会はまるで横浜高校の物語のようだ。準決勝は8月20日、横浜-智弁和歌山、天理-健大高崎。

昨日は、内野と木立と『悲情城市』を見た。月イチで集まってやっている映画鑑賞会で、白金台にある木立の家に泊まる形で開催している。内野が台湾映画にハマっている時期に始まったこともあり、「台湾ニューシネマを学ぼう」的な雰囲気でやっているが、内野がそういう目的性の高いノリを嫌っているので、ひとまず「なんとなく集まって映画を見る会」ということになっている。


『悲情城市』は、日本の統治が終わった直後の混迷期を生きる「林家」の人たちを通して台湾を描いた、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)の傑作だ。以下、感想メモ。

  • 映画は、台湾が持つ複雑なアイデンティティを見事に描いているように感じた。名作だといわれるのも頷ける。説明的な描写が少なく登場人物の名前も覚えづらいため、危うく物語を見失いそうになったのだが、途中から映像を一時停止して相関図を確認したり、副音声的にみんなで話しながら観ることで事なきを得た。

  • 僕には多くの台湾人の友人がいるが、そのルーツは内省人、外省人、原住民と様々で、それらが血縁や関わりの中で複雑に交差し、一人ひとりの内に固有の文脈を作り出している。作中で内省人と外省人との関わりや、原住民らしき人が出てくると、友人たちの顔が次々と浮かんできて、彼らのことを思ったりした。

  • 日本で台湾が語られる場面では、よく「親日」という言葉が使われるが、それは複雑な関係性の「結果として」表面に浮き出てきたものに過ぎない。いわば、瓶の蓋に書かれたラベルのようなものだ。蓋を開けたその中には、夥しいほどの生活が詰まっていて、『悲情城市』で描かれる林家の物語には、その一例を見た気がした。

  • 台湾で僕を泊めてくれているユーシュエンという友人がいるのだが、正月に彼女の実家に遊びにいったとき、日本の植民地時代を生きたユーシュエンのお爺さんと話をした。彼とその家族がどのように生きてきたか、という話を聞いた時も、蓋の中のものを覗いた気がした。

  • 蓋の中にあるものを、なるべく多くこの目で見ておきたいと思う。

  • そういえば、『悲情城市』の冒頭で「ふるさと」が歌われる場面があったが(兎追いし、彼の山〜)、ユーシュエンのお爺さんが僕に「僕は日本の歌を覚えているよ」と言って歌ってくれたのもこの「ふるさと」だった。場をわきまえず大声で歌うお爺さんに、ユーシュエンの家族は困り顔だったが、僕はその時何故か涙が止まらなかった。

  • 鑑賞後、内野と木立に台湾と日本の関係性についていくつか喋ったのだが、ずっとスベッているような感覚があった。歴史を概論として語ってしまうと、そこにあったはずの個人の物語が滑り落ちてしまう。歴史とは当然無数の「個人的な体験の集積」であるはずなのだが、それを一つひとつ言葉にして伝えるのは不可能だ。だから象徴的な物語を創作し、そこに気配を込め、どうにか伝わることに賭けるしかない。それがまさにこの映画のような存在なのだろう、というようなことを帰ってきてから考えた。

  • 役者について。圧倒的な存在感を放つ四男役のトニー・レオンもさることながら、僕は長男を演じた役者がいいなと思った。陳松勇(チェン・ソンヨン)という役者らしい。フーテンの寅さんや、ミルクボーイの内海のような見た目で、独特の愛おしさがあった。彼が刺された場面の次に鳥が空を飛ぶカットが入り、これはちいかわ的な死のメタファーだと思うのだが、これって映画技法的によくあるやつ、というか何か元ネタがあるものなのだろうか。


深圳から一時帰国したケースケくんと、高円寺駅のガード下でケバブを食べながら路上ライブを見た。


「すず佳」という女性が歌う「いいんだぜ」という曲がよかった。なんというか、擦り切れた生活から滲み出てきたような優しさが詰まっていた。

いいんだぜ いいんだぜ
いいんだぜ いいんだぜ
君がドメクラでも ドチンバでも
小児マヒでも どんなカタワでも

いいんだぜ いいんだぜ
いいんだぜ いいんだぜ
君が鬱病で 分裂で
脅迫観念症で どんなキチガイでも

いいんだぜ いいんだぜ
いいんだぜ いいんだぜ
君がクラミジアで ヘルペスで
梅毒で エイズでも おれはやってやるぜ
なでてあげる なめてあげる
ブチ込んでやるぜ

いいんだぜ いいんだぜ

すず佳さんは相当酔っていて、ほとんどヤケクソのように歌っていたのだが、それがまためちゃくちゃよかった。酔っ払ってこの曲を歌うなら、高円寺のガード下よりいいステージはないだろう!

曲を歌う前の流れからして「カバー曲なんだろうな」と思っていて、帰ってきて調べたら「作詞・作曲:中島らも」だった。ちょうど数日前に『今夜、すべてのバーで』を読んだばかりだったので、妙な縁を感じた。

Uboat とその友人たちと麻雀を打っていて、

「子どもに『こんなものに興味を持たせたい』とかあります?」

と誰かが尋ねた時、Uboat が間髪入れずに、

「それは子どもに『どんな呪いをかけたいか』って話やな」

と切り返していて痺れた。ほんまやな。

僕が使っている「小杉湯となり」というコワーキングスペースには、会員が自由に飲めるフリードリンクのサービスがある。

そこで、僕がカップに三分の一ほどコーヒーを注ぎ、さらに迷いなく冷水を注ぎ足して薄めていると、後ろに並んでいた人にギョッとされることがある。めざといスタッフに見つかったときなどは、「ごめんなさい、コーヒー濃すぎましたか……?」と申し訳なさそうな顔で心配されてしまったりする。


コーヒーの水割り、いわゆる「アメリカン」をよく飲むようになったのは、今年の六月に韓国で生活をしてからだ。

韓国はコーヒーの国である。僕が暮らしていたのはソウルから電車で一時間以上揺られた郊外の町だったが、そんな町ですら徒歩圏内に十数軒のコーヒーショップが乱立していた。

こういう店で町の人が飲むのは「アイスアメリカーノ」と決まっており、僕もそれに倣うようにしていた。気候が二十五度前後に差し掛かる初夏の頃、散歩して火照った身体にあの冷たい液体を流し込むのは最高の涼だった。薄いアメリカンだからこそ、大きなサイズでがぶがぶと煽っても、カフェインの悪酔いを起こさずに済む。そうやって気になるカフェをハシゴしていると、この町をいくらでも歩いていけるような気した。


コーヒーを水で割るのは、アイスコーヒーに限った話ではない。当時、お世話になっていたホームステイ先では、毎朝ホストファミリーのお婆さんが朝食と一緒にドリップコーヒーを用意してくれた。大きなサーバーからカップへ注いでくれるのだが、お婆さんはそのまま僕に渡すのではなく、そこに当然のような顔でお湯をなみなみと足してから手渡してくれるのだ。日本の喫茶店で出てくるアメリカンを、さらに半分に割ったくらいの薄さである。

「これではコーヒーの香りがついた白湯では……」と困惑したが、それを啜りながらお婆さんの話を聞いていると、コーヒーの風味だけがスイスイと僕の喉を通っていく。まるで水と同じように体の中にすーっと吸い込まれていくようだ。引っかかるノイズが何ひとつない。気づけば何杯もおかわりしてしまっていて、数日経った頃にはその頼りない薄味がすっかりクセになっていた。


韓国での滞在中、日曜日にはなるべく近所の教会に足を運ぶようにしていた。信徒にはなり損ねたものの、十代の頃にミッションスクールで習っていた聖書や讃美歌は、旅先で思いがけず役に立っている。教会に行けばタダで食事にありつけるし、地元の人たちとも打ち解けやすい。異国の町で手っ取り早く居場所を作るのに、これ以上の方法はなかった。

ある日、教会の食堂で顔なじみになった男性と立ち話をしていると、彼は慣れた手つきでコーヒーメーカーからカップへ数センチほど注ぎ、軽く匂いを嗅ぐと、隣に置かれた寸胴のステンレスキーパーからコックをクイッとひねって躊躇なく水を注ぎ足した。会話を途切れさせることなく、あまりにも自然に行われたその一連の動作に、僕は思わず言葉を忘れて見入ってしまった。

それ以来、僕もその所作を真似するようになったのだが、サッと手早く好みの味を作るのはなかなか難しい。そもそも、ベースとなるコーヒーの濃さが日によって変わる。だから、まずカップの底に少しだけコーヒーを注ぎ、一口舐めて味を確かめてから、コーヒーや水を注ぎ足す。慣れれば香りを嗅ぐだけで判別できるのだろうが、その域は遥か先だ。

もちろん味だけではなく、所作としての美しさも求めたい。僕が見た男性の仕草には「粋」を感じさせるものがあった。ゆっくりと、しかし迷いなく行うこと。あまり丁寧に味を調整している感じが出るとダサい。印象としては、雑然とした動作なのだ。できれば「生まれてこの方ずっとこうして飲んでます」というかんじを目指したい。そうして練習を重ねて、納得のいく一杯が作れるようになってくると、僕は自分の身体がこの町に馴染んでいることに気がついた。

滞在中、韓国語は一向に上達しなかったので、これだけが僕が韓国で習得した唯一の技術といえるだろう。それを忘れてしまわぬよう、今でも毎日コーヒーの水割りを作って飲んでいる。

ピーチ子が「のど自慢」に出て審査員賞を受賞していた。

どんな形であれ、大学の友達が活躍しているのを見るのはいいよな。

なんか今日いい一日だったなって思える。

Ray の誕生日なのでおめたん LINE をすると、絢瑛と入籍したと返事が来た。おめでとう!

この一週間で、大野くんから「プロポーズしました!」と連絡があり、美穂子からも入籍したという知らせが届いた。少し前には加藤真悟も結婚した。いわゆる「結婚ラッシュ」的な波が少し下の代で起きている。とりあえず「式でも何でも力になれることがあれば言ってくれ!」と話している。

かつて一緒に夜通し酒を飲んで笑い転げていた友人たちが、それぞれの生活を選び取り、人生の新しい局面を迎えていく。その報告を受け取るたびに、友達が遠くへ行ってしまうような寂しさを感じてしまうけれど(そんなことは全くないはずなのだけど)、こういうモラトリアムの終わりを一匙ずつ受け取って、それを自分の皮膚になじませるようにして年輪を重ねていくのが人生なんだろうと思う。というか、こういう寂しさや切なさも含めて味わえる人生でよかった。みんな、どうか幸せになってくれ!

夜、高円寺駅に着くと、台湾から遊びに来ているエリアルから「ラーメンを食べたい」と連絡が入ったので、北口のロータリーで待ち合わせることに。

エリアルを待つ間、ロータリーでキガさんというチリ人と出会い、何故か意気投合して一緒にシャボン玉を飛ばして遊ぶというピースな時間を過ごす。

キガさんが『HUNTER×HUNTER』の暗黒大陸編をスペイン語訳で読んでいると言うので、「ほんまかいな」と思って少し突っ込んだ質問をしてみると、僕なんかより遥かに内容の理解が深くて(というか僕は暗黒大陸編について何も理解していないのだが)ただただ脱帽した。完全に侮っていた。非礼を詫び、自分に無自覚な偏見があることを反省する。


エリアルと合流して「どんなラーメンが食べたいの?」と尋ねると、絶賛『ちいかわ』にハマっている彼女は目を輝かせながら、

『郎』が食べてみたいです」

と、不穏なリクエストを口にする。

試しに別のラーメン屋を候補に挙げて煙に巻こうとしたが、エリアルのキラキラした眼差しには抗えず、腹を括って南口の「らーめん大」へと向かうことにした。思いがけず二郎系に駆け込む土曜日の24時半。しびれる。

着丼。御多分に洩れず普通サイズでもかなりの量で、モデルのようにスリムなエリアルは食べきれないのではないかとハラハラしたが、まったくの杞憂だった。エリアルは箸を止めず、山盛りの野菜も麺もペロリと平らげてしまった。またしても侮っていた。申し訳ない。

僕は感心しつつ、店のおっちゃんに「彼女は台湾から来たのだ」という話をすると、おっちゃんは嬉しそうに目を細めていた。エリアルもなんだか誇らしそうだった。ニンニクと醤油の匂いが充満する狭い店内に、あたたかい満足感が漂っていた。


夜風の吹く帰り道、「初めての二郎はどうだった?」と聞いてみると、エリアルは晴れやかな顔で、

「疲れました」

と笑っていた。

久しぶりに、納期の迫った仕事をひとつも抱えずに迎えた金曜の夜だ。(もしこれを読んでいる人で、僕に何かを依頼している方がいたらごめんなさい。見なかったことにしてください。)

あまりの開放感に浮かれてしまい、夕方から新宿を歩いて目についた雀荘に入って東風戦を四回打った。それから高円寺まで戻り、中華屋「福来門」(南口の方)で上海炒麺を平らげ、餃子をつつきながら深夜までダラダラと居座る。

鴫原さんが亡くなって今日で一年だ。亡くなったのは明け方だったはずなので、去年の今頃はもうこの世にいなかったのか、とか、死んでからの一年で夢に出てきたのは一回だけだったな、とか、大して意味のないことを考えたりした。

いくつか読みかけの本があるものの、あまり新しい活字を頭に入れる気になれず、あてもなく Kindle ライブラリをスクロールしていると、かなり前のセールで買っておいた中島らもの『今夜、すべてのバーで』が目に留まった。もうすっかり酒客としての生活からは遠ざかってしまったけれど、今夜の読み物としてはちょうどいいと思った。

読み始めてすぐに、アルコール依存症で特別病棟に入院している主人公の年齢が三十五歳だと知って、思わず腰を抜かした。こいつ僕より若いのかよ。

以前この本を読んだのは、確か中学生か高校生の頃だ。少なくとも僕がまだ酒の味を知らなかった頃なので、恐らく二十年以上も前のことだと思う。当時は「とんでもなく破天荒なオッサンの話」として面白がっていたが、今回は、

「まだ若いのに、こんなところまでいってしまったのか……」

と、作中に登場する医師や看護士たちと同じように痛々しい気持ちになってしまった。

新宿バルト9で、アンナとエリアルと『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てきた。台湾から観光に来ているエリアルは、四日前に台湾で翻訳版を観ており、早くも二回目の鑑賞だという。狂気。

(新宿、めちゃくちゃ上映してた)


映画の内容は完全に原作通り。うさぎのラップパートがアニメーションならではの表現で手厚く作り込まれていたのがよかった。観ていて気持ちよかった。

物語について。これは漫画を読んでいたときも思ったのだけれど、ちいかわが身内の不正義を見逃してしまうのを「優しい心」や「物分かりのいい態度」として描くのは、いかにも閉鎖的な村社会の醜悪さを表しているように思う。

人魚を食べた真犯人がヒトハとフタバであるという決定的な真相を掴んでおきながら、ちいかわはそれを明るみに出さず、事実を隠蔽して黙り込む。そしてあろうことか、犯人を差し出せと迫るセイレーンをみんなで攻撃して追い払い(その過程で身内は連帯・結束し)、「めでたしめでたし」と一件落着にしてしまう。

「自分たちの身内の空気や関係性を守ること」を最優先し、波風を立てない保身や隠蔽が、いつの間にか「優しさ」へとすり替わっていく。そしてそれをノスタルジックな音楽と美しい情景で包み込んでなんとなくいいかんじにして癒やしてしまうのは、なかなかにグロテスクじゃないか。


少し視点を変えて? もう一つ。

救いのない過酷な世界の中に愛くるしいキャラクターを放り込んで、その報われない生き様や困惑する姿を眺めて喜んでしまうのは、間違いなく嗜虐的な快楽の一つだ。「ちいかわ」という作品が、人間のそういう「可愛いものが困っている姿を見たい」という加害欲求、いわゆる「キュートアグレッション」を巧みに刺激してくるコンテンツであることは、あまり疑いの余地がないと思う。(この「嗜虐的な快楽」と、日々の理不尽な労働に耐える自分自身をちいかわ達に見立てて宥める「自傷的なケア」の奇妙な共存こそが「ちいかわ」という作品の最大の特徴。)

気にかかるのは、これを「深い話だ」「考えさせられる」と大真面目に頷き合っている世間の空気感だ。自分たちが俗な欲望(ポルノ)を消費しているという事実から、無意識に目を背けているように見える。これは、AVを観てシコっているだけなのに、そのシナリオや演出に難解な解釈を持ち出して「これは人間の生々しい本質に迫った芸術作品だ」などと語ったりすることで己の欲望を公然化しようとする(僕がよくやっていることです)心理に似ていると思う。

別に、ちいかわを深イイ話だとほめそやすのも、AVを芸術として捉えるのも個人の自由だし、それ自体を否定するつもりはないのだけれど、ただ、本質的にはかなり生臭くていやらしい人間の欲求に根ざしたポルノ的な消費だよね、というところは確認しておきたい。それをみんなして哲学的な寓話としてありがたがっている光景はちょっと不気味じゃないかいと思っているのだけど、どうだろう。

NiEW のオフィスで打ち合わせをした後、そのまま会議室を借りて作業させてもらっていると、柴田さんがかわいい漫画を持ってきてくれた。

『別冊よすみ(第二集)』


『別冊よすみ』は、SORAJIMA という出版社の中に作られた漫画編集部「よすみ」が発行している紙の作品集だ。

パラパラとページをめくってみると、そこに載っていたのはいわゆる典型的な商業漫画の形式からは少し浮いた、なんともいえない人間の「分かりづらさ」や生活のざらつきをそのまま残したような作品ばかりだった。漫画家だけではなく、歌人やエッセイスト、劇作家といった人たちが、カルチャーの境目を軽々越境してきたようなかんじでコラムや短歌を寄せていたりする。

世の中のあらゆるものが「わかりやすさ」にどんどん回収されていく中で、こういう不器用なものに触れると、無性に頼もしく、愛おしく、救われるような気持ちになる。

その後、柴田さんに身の上話なものを聞いてもらったりしたのだけど、そういった雑談も含めて、今日は救われるような時間が多かったと思う。つまりめちゃくちゃいい一日だった。


29歳の「よすみ」編集長インタビュー 演劇、批評畑から漫画編集部を立ち上げた意思(NiIEW)

ABCラジオ「こたけ正義感の聞けば無罪」を聴いていたら、ゲストに大島育宙が出ていて、自著『なぜあなたの感想はふつうなのか 独自の視点で語る技術』について喋っていた。

大島が言うには「感想を話す」というのは別に映画や小説といった話題に限った話ではないらしい。友達とご飯を食べに行ったときとか、誰かからちょっとしたお土産をもらったときのような場面での会話のことも想定しているのだという。そういうコミュニケーションにおいて「感想を話す技術」をどんどん活用していってほしい、感想を語る術がないと人間は「悪口か謙遜に逃げてしまうから」と話していた。この本に何が書かれているのか知らないが、この指摘についてはマジでその通りだなと思い、というか思い当たる節がありすぎて、皿洗いの手を止めてしまった。そして流れるような手つきで当該書籍をポチった。


「感想」といえば、今日青木宏治さんの ZINE 『Open Be-in 運動』を読んでいて、いいなと思う一節を見つけた。

表現はよき受け手がいるところでのみ、育つ。制作者としてやりたいことはなくても、美術を愛するもの達は多くいるだろう。良き受け手になろう。ここがいいとか悪いとか偉そうに話すのもそれはそれで一興だが、それよりもむしろ、見たままのプロセスをそのまま伝えてあげると、きっと作家の何かの役に立つだろう。最初は何がなんだか分からなかった、とか、ここに注目して見て、こんな風に感じ、解釈した、とか。作家の意図とは正反対に解釈している場合でも、何の問題もない。作家は伝え方について反省をするだろうから。電子メールでのアンケートにおいて、作家から返信が返って来ると、鑑賞者は見落としていた部分の指摘を受けたりできて、互いにとって有益。ただし、アートは生易しいものではないため、作品や感想の交流の中で互いが互いを深く傷つけあう場合もある。ネガティブな印象を作品から受けた場合のアンケート実践はどうするべきか。罵詈雑言飛ばしたいのだが、ぐっとこらえたまま、いまだ答えは見つからない。良き受け手への道は険しい。とはいえ、没交渉の死んだ沈黙こそが、文化振興にとっての最大の敵。この認識からはじめよう。

「ここがいいとか悪いとか偉そうに話すのもそれはそれで一興だが、それよりもむしろ、見たままのプロセスをそのまま伝えてあげる」というのが、最近の僕に対する大きな指南のように思えた。

ここ数日僕は Chooning にフジロックの感想を書きかけて止まっていたり、最近見た映画だと『FUJIKO』や『急に具合が悪くなる』『海辺の一日』あたりについても書きたいと思いつつ、しかしなかなか書き出せずにいた。が、「見たままのプロセスをそのまま伝えるように書く」と想像したとき、ああなんかスルスル書けそうだなという気がしたのだ。

明日からスルスル書くぞ、書くぞ。

夜、高円寺駅北口のロータリーに「フリー哲学」と書かれた看板を出してる男性がいた。

彼の前には小太りの明らかな酔っ払いのオッチャンが立っていて、フリー哲学の人はそのオッチャンの話に大きく頷きながらめちゃくちゃ丁寧に話を聞いているようだった。というか、フリー哲学などと書いてあるからそれは辛うじて「傾聴の姿勢」に見えたものの、看板がなければ気のよさそうな人が酔っ払いに絡まれているようにしか見えなかっただろう。

看板の脇には「自由に読んでください」的な本が並べられており、覗き込んでみると、少し気になっていた本屋メガホンの『ケアをクィアする』が置かれていた。僕は酔っ払いに絡まれないように細心の注意を払いながらにじり寄っていき「これ、読んでいいすか」と声をかけてみたのだった。が、なんやかんやあって気づけば酔っ払いのおっちゃんも含めて僕たち三人は一時間もその場で話し込んでしまった。


別れ際、フリー哲学の人こと青木さんから『Open Be-in 運動』と題された ZINE をもらった。そしていま向かいのデニーズに入り、ドリンクを飲みながらページをめくっているのだが、ちょっとその内容に圧倒されてしまっている。

ここに書かれているのは、青木さんがなぜ路上に立ち「フリー哲学」なんてものを始めるに至ったのかという、剥き出しで切実な生の告白だ。

43歳、非正規雇用の極貧生活、孤独。中年になってアートを商品として売る才能もなく、かといって趣味と割り切ることもできない。葛藤の果てに青木さんが行き着いたのは、表現活動を「政治化=社会運動化」することだった。そうして表現という行為そのものを社会の中に無理やりにでも位置づけ、この生きづらい世界で己のアートを生き残らせるための試みを行なっているのだという。

かつてブルーハーツの狂おしいステージやビート文学に救われた青木さんにとって、表現とは個人の最も奥深い部分を曝け出す「切実な自己解放」そのものだった。けれど、今の社会には本当の自分を開示し、本音を受け止めてもらえる場が圧倒的に足りない。だからこそ、青木さんは自分の足で路上に立ち続けたり、こうした ZINE を作ったりしている。

ページには、青木さんが日常のあらゆる隙間に仕掛けようとしている、驚くほど具体的で泥臭い実践のアイデアがびっしりと並んでいる。それらはどれも、効率や生産性を求める社会の中で孤独に押し込められ、声を失ってしまった人々の「存在」と「声」を取り戻すための切実な抵抗の希望のように見えた。