新宿バルト9で、アンナとエリアルと『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てきた。台湾から観光に来ているエリアルは、四日前に台湾で翻訳版を観ており、早くも二回目の鑑賞だという。狂気。

(新宿、めちゃくちゃ上映してた)
映画の内容は完全に原作通り。うさぎのラップパートがアニメーションならではの表現で手厚く作り込まれていたのがよかった。観ていて気持ちよかった。
物語について。これは漫画を読んでいたときも思ったのだけれど、ちいかわが身内の不正義を見逃してしまうのを「優しい心」や「物分かりのいい態度」として描くのは、いかにも閉鎖的な村社会の醜悪さを表しているように思う。
人魚を食べた真犯人がヒトハとフタバであるという決定的な真相を掴んでおきながら、ちいかわはそれを明るみに出さず、事実を隠蔽して黙り込む。そしてあろうことか、犯人を差し出せと迫るセイレーンをみんなで攻撃して追い払い(その過程で身内は連帯・結束し)、「めでたしめでたし」と一件落着にしてしまう。
「自分たちの身内の空気や関係性を守ること」を最優先し、波風を立てない保身や隠蔽が、いつの間にか「優しさ」へとすり替わっていく。そしてそれをノスタルジックな音楽と美しい情景で包み込んでなんとなくいいかんじにして癒やしてしまうのは、なかなかにグロテスクじゃないか。
少し視点を変えて? もう一つ。
救いのない過酷な世界の中に愛くるしいキャラクターを放り込んで、その報われない生き様や困惑する姿を眺めて喜んでしまうのは、間違いなく嗜虐的な快楽の一つだ。「ちいかわ」という作品が、人間のそういう「可愛いものが困っている姿を見たい」という加害欲求、いわゆる「キュートアグレッション」を巧みに刺激してくるコンテンツであることは、あまり疑いの余地がないと思う。(この「嗜虐的な快楽」と、日々の理不尽な労働に耐える自分自身をちいかわ達に見立てて宥める「自傷的なケア」の奇妙な共存こそが「ちいかわ」という作品の最大の特徴。)
気にかかるのは、これを「深い話だ」「考えさせられる」と大真面目に頷き合っている世間の空気感だ。自分たちが俗な欲望(ポルノ)を消費しているという事実から、無意識に目を背けているように見える。これは、AVを観てシコっているだけなのに、そのシナリオや演出に難解な解釈を持ち出して「これは人間の生々しい本質に迫った芸術作品だ」などと語ったりすることで己の欲望を公然化しようとする(僕がよくやっていることです)心理に似ていると思う。
別に、ちいかわを深イイ話だとほめそやすのも、AVを芸術として捉えるのも個人の自由だし、それ自体を否定するつもりはないのだけれど、ただ、本質的にはかなり生臭くていやらしい人間の欲求に根ざしたポルノ的な消費だよね、というところは確認しておきたい。それをみんなして哲学的な寓話としてありがたがっている光景はちょっと不気味じゃないかいと思っているのだけど、しかしそうでもして安心しようとする姿もまたすごく人間らしい心理な気がする。