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よしながふみの『きのう何食べた?』は、同性愛を生きる史朗と賢二の二人暮らしのなかで流れる「いい時間」を描く。彼らは弁護士と美容師としての仕事の時間と、プライベートの時間をうまく縫いながら、いっけんなんでもないが満ち足りた時間を二人で過ごす。しかし、とりわけゲイであることを職場にはカミングアウトしていない史朗には、「結婚しないのか」あるいは「もう五十代なのだからパートナーといっしょにならないのか」といった、マジョリティが生きる時間感覚が押し付けられる。史朗たちはそれをうまく躱しながらも、彼らが生きる時間と、彼らの周りの人々が要求する時間にははっきりとしたずれがあることを感じ取る。「結婚」という制度がある種の〈時計〉として働き、彼らを抑圧する現実が描かれている。

難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)

「異性の性器に性的な関心があるのは、どうして自然なことなんですか」

寺井検事、と、越川の声が聞こえる。

「ひとりの異性に何十年も性的に興奮し続けることは、誰かにこうして取り調べられることがないくらい自然なことなんですか」

朝井リョウ『正欲』(新潮社、2021年)

どんな集団にもある程度のルールが必要だってことぐらい俺にもわかる。だけど、こいつらの気に食わねぇとこは、頭ん中がルールでガチガチのくせに、自分たちがやっていることを〝個性〟だの〝自由〟だのと呼んでいることだ。

いつも頭の中がルールでガチガチだから、いずれ大学の面接の時期になったら茶髪を黒髪に戻してロン毛を短髪にすることも余裕でやってのける。大学に入ったらまたルールに従ってブリーチして、そんで社会に出るタイミングでまたルールに従って黒髪に戻す。それの何が悪いと言われたら、何も悪くない。むしろ、正しい。そうだ、どうせ正しいんだろ?

若林正恭『青天』(文藝春秋、2026年)

「皆が足並みを揃えていないと駄目なんだ。何で三十代半ばなのにバイトなのか。何で一回も恋愛をしたことがないのか。性行為の経験の有無まで平然と聞いてくる。『ああ、風俗は数に入れないでくださいね』なんてことまで、笑いながら言うんだ、あいつらは! 誰にも迷惑をかけていないのに、ただ、少数派だというだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する」

村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、2021年)

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負担をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、ーーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。[…]

こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、[…] 紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義(マチズモ)ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。

市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋、2023年)

自分はいつか結婚するんだろう、と二谷は思っている。結婚がしたいわけではなくて、結婚したくないと思ったことがないからだった。世の中には一生結婚しないと決めている人もいるけれど、そういうのは確固たる意志がある人だけが決意するものであって、特に何の希望もない自分のような者は、いつか結婚しなければ辻褄が合わない。ならば、喜んでくれる人が多いうちにしてしまうのがいいんだろう、そんなふうに考えていた。

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社、2022年)

「要するに、同性愛者を『気持ち悪い』なんて言う人間は、頭の中で、同性愛者の体と過剰に一体化して、男同士でキスしたりするところを想像するからなんだよ。だから、そういう連中は、誰かがスゴい婆さんとつきあってるって聞いても、やっぱり『気持ち悪い』って言うよ。人の勝手だって、思えないんだよ。これはさ、AVを見てるとわかるんだ。性に関しては、人間は、簡単に他人をアバター化するから。俺はさ、中年のオッサンのアソコをじっと見つめてろなんて言われても、まあ、絶対にイヤだね。だけど、AVで女優と絡んでる時には、嬉々として凝視してるんだよ。その関係性に入り込んで、その男優の体と一体化して。」

平野啓一郎『本心』(文藝春秋、2021年)