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アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保障が行き届いていることがかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピュータの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸びと停年の落差も膨大な「空白の時間」を生む。

「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。

中島らも『今夜、すベてのバーで』(講談社、1991年)

「みじめな状態でいるよりは意識を失っていたほうがマシ」

……か。

みじめな人間がすべてジャンキーになるのだったら、世界中にシラフの人間は一人もいなくなるだろう。同じ苦痛を引き受けて生きていても、中毒になる人間とならない人間がいる。幸か不幸か、なにかの依存症になってしまった人間が、一番言うべきでないのが、プレスリーの台詞なのではないか。中毒におちいった原因を自分の中で分析するのはけっこうだが、〝みじめだから中毒になりました〟というのを他人さまに泣き言のように言ったって、それは通らない。それでは、みじめでなおかつ中毒にならない人に申し訳がたたない。〝私のことをわかってくれ〟という権利など、この世の誰にもないのだ。

中島らも『今夜、すベてのバーで』(講談社、1991年)