リンクをコピーしました

「あ……! 前に話したことあったっけ? カミュのシーシュポスの神話の話」

「いえ、多分、聞いてないです」

「神話なんだけど、シーシュポスっていう人が、神々から大きな岩を山のてっぺんまで転がして運ぶっていう罰を受けるのよ。で、シーシュポスは言われた通り、岩をてっぺんまで運ぶんだけど、運んだ途端、岩がまた平原まで落とされちゃう。勝手に落ちるのかな? とにかく落ちる。でも、シーシュポスはこの不条理な労働を運命だと受け入れて、平原まで下りて行って、またてっぺんまで岩を運ぶのよ。何度も何度も。永遠に。運んでも何もならないのに。なんでだと思う?」

「何もならないのに……」リプトンの紙パックの中身はすでに空だった。

「ここからは私の解釈なんだけど、運命、それを神からの制約だとしましょうよ。あなたがその遼西高校に、絶対に勝てない存在であることが運命だとして、それにあなたの意志で抗うことは、たとえその運命が変わらないとしても、自由を行使するということ。運命は神が作った制約だとしても、なぜか運命に抗うことは神も止めることができない。人間に決定権がある。だったら、その自由を行使するってことが、自由に生きるってことなんじゃないかしら?」

「運んでも何もならないのにですか?」

「運んだら何かになることばかり社会も学校も勧めるわよね。でも、たとえば、大学受験の勉強をしている最中に死んでしまったら、その勉強は無意味だったか? もし、無意味だと言う人がいたら、その人はきっと結果の世界の住人よね? でも、もし、勉強そのものが楽しくて、この際もう楽しくなくてもいいわ、主体的にその人が勉強をするんだと決めてやっていたら、ごめんね、物語の結末を言うわね。その人のことを幸せな人だと思わねばならぬ、とカミュは言うのよ」

なんの前触れもなく、突然、蛇口を捻られたように涙が溢れ出した。

岩崎が節くれだった手で机の上のクリネックスを取って、目の前に差し出す。その所作がとても洗練されていて、岩崎の人生でこういうことが何度かあったんだろうなと思った。

「負けるのはわかっていて、それでもあなたの意志で毎朝タイヤを押しているなら、それを自由と呼ぶんじゃないかしら? 自由に生きるってことなんじゃないかしら?」

若林正恭『青天』(文藝春秋、2026年)