直接のきっかけは、修学旅行でオーストラリアに行く時に、パスポートが気になるなら帰化してはどうかと、父親に勧められたからだった。城戸はそれに従ったが、その時に、父が、韓国という国には、お前の「実感」がないから、万が一、旅先で何かあっても、やはり保護してくれるのは日本政府の方だろう、と言ったのが忘れられなかった。韓国政府は、お前という人間がこの世に存在していることを、今現在、まったく捕捉していないから、と。
父は、たった一度しか言わず、城戸も聞き返さなかったが、「実感」ではなく、「実体」と言いたかったのだろうと思っていた。彼は、韓国で生活をしたことがなく、国民としての「実体」が、そこにないことは事実だった。
しかし、それからもう二十年以上経っても、その時の「実感」というふしぎな言葉は、彼の頭に染みついて離れなかった。一種の擬人法で、韓国という国家に、自分の存在の「実感」を持たれていない、という奇妙な想像だったが、彼自身が逆に、韓国という国を「実感」し得たのは、恐らくその時が初めてだった。
平野啓一郎『ある男』(文藝春秋、2018年)