リンクをコピーしました

──一方、今度は俗にいわゆるブルジョア科学というのがあって、最近では特に工学的な、つまり電子計算機の発展というようなものを通して、それからまたそれに刺激された論理学というふうなものが精密になってきているわけですね。そこには、ますます人間というのは科学的に合理的になっていく、つまり間違いを犯さないようになるだろう。未来というのは非常に科学的に予測できるようになって、そのことによってすべてがきちんとうまくいくという考え方があるわけですね。そういう考え方からいわゆるマルクス主義というものを批判して、マルクス主義というものはその点では不合理的なものである。科学的であるということの意味において十分でない面がある、それではだめなんだという考え方が最近非常に力を得てきたと思います。科学時代の哲学という角度から言語の問題にもいろいろ発言をするようになってきている。あるいは法とかについても、つまり吉本さんのいわれる共同幻想というふうなところにもいろいろ議論が出てやっていると思うんです。そういう最近の科学主義というんですか、割とスマートな形をとっていますけれども、そういう主張に対してはなにかご意見ありますか。

僕の考えでは、そういう科学的な意味で生産方式も発達し、技術も発達しというような、つまり大きくいえば経済的な範疇なんですけれども、そういう意味での発展というものはとめることができないのです。逆戻りすることはありえないと思うんです。つまり科学というものは一般に逆戻りすることはありえない。そういう意味では社会科学としての経済学というものが扱う問題は逆戻りすることができませんから、それは発展していくでしょうと思います。

けれども、そういう考え方の一番基本的な間違いだというふうに思うのは、僕にいわせれば、逆な意味で経済的範疇というものもまた部分的なものにすぎないことを見ないことだと思います。非常に基本的な要素ではあるけれども、しかしそれが部分であることにはいっこう変わりないということ。だから、そういう部分的な点で、科学が発達し、技術が発達し、未来が描けるというような考え方というのは、ほんとは部分的なものにすぎないのに、それが全体性だと思っているところが一番問題になると思うんです。

吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』(角川ソフィア文庫、2020年)