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私はティッシュを二枚とり、すばやくとんとんしながら、保育園のときにもこういうことがあったなあと思い出して、人間って変わらないなあと主語を大きくしながら恥ずかしさを誤魔化すための感慨にふけり、でも、他人と一緒に住むって、失敗を笑ってもらえるということでもあるのだなあと、うれし恥ずかし感じ入り、そういう、私たちの、はじめての夜だった。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「二谷さんと食べるごはんは、おいしい」

押尾さんがほほ笑んで言う。ほほ笑んでから言ったというよりは、その言葉を言うために唇を動かしたら目じりや頬も一緒に動いた、という感じのほほ笑み方だった。

「二谷さんは目の前にある食べ物の話をほとんどしないから、わたしも、これおいしいですねとか、すごいふわふわとか、いちいち言わないで済んで、おいしくても自分がおいしいって思うだけでいいっていうのが、すごくよかった。おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手だったんだなって、思いました。苦手なだけで、周りに合わせてできてはしまうんですけど。甘いのが好きとか苦手とか、辛いのが好きとか苦手とか、食の好みってみんな細かく違って、みんなで同じものを食べても自分の舌で感じている味わいの受け取り方は絶対みんなそれぞれ違っているのに、おいしいおいしいって言い合う、あれがすごく、しんどかったんだなって、分かって。二谷さんとごはんを食べる時はそれがなかったからよかった。一人で食べてるみたいで。でもしゃべる相手はいるって感じで。[…]」

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社、2022年)

スーパーマーケットをふらふらしていると、ペヤングの超大盛りが目についた。

私はそれを三つ買って帰り、黒のマジックペンで『すべてがどうでもよくなったときのためのペヤング』と書いてみる。りんごちゃんの、めろんちゃんの、小原の、とひとつひとつに名前も書き入れ、台所に並べる。

すべてがどうでもよくなったとき、私はふたりのそばにいないかもしれないし、そもそも私ではなんの役にもたたないかもしれない。

ならば食い意地の張っている、きっと落ち込んだときにもたくさん食べるタイプの君たちに、ペヤングの超大盛りをひとつあげます。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「くそダセえ。大人になれないのはあたしじゃねえ、てめえだよ。ママの大事な僕チャンをいい加減、卒業しろよ。自分だけは大切にされて当たり前とでも思ってんだろ。この短小が。あたしのことをどうこう言う前にてめえのテクのなさをどうにかしろよ。おら、立て、おら。そもそも、もろくない人間関係なんてこの世界にあんのかよ。女と女も、男と女も、男と男もみんなおんなじだろうが。どんな関係も形を変えたり、嫌ったり嫌われたり、距離を測ったり、手入れしながら、辛抱強く続けていくしかねえんだよ。たかが関係一つ手に入れただけで腹一杯になれるもんか。なんもしないですべてが満たされて承認されて、問題全部解決するわけないだろうが。 […] 」

柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋、2015年)

思えばあとのふたりにもあたらしい恋人ができたり、転職を考えていたりと、まるであのときの私たちは、ばらばらになることをしめしあわせたようであって、あたらしいところへいこうとか、いかなければとか、このままこうしていてもどうにもならないしとか、そういうことを思っていたような、思うしかなかったような気がしてならない。

しかし解散について、三人で向かい合って話し合った記憶がどうもなく。つまりすべてのやりとりはそれぞれのアイフォーンの中で行われ、定められ、決まったのじゃなかったか。

私たちはおおきな喧嘩をしたり、言い合ったり、殴り合ったりしたことは、勿論、なかったけれど、次へ行くと決めた人間というものは、そうやって、自然に、当たり前に、さらりと顔を合わせなくなるものであるのだと、私はそのとき知ったのだった。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「何故、そうやって武装するくせに、人を求めるんだ。ならば、一人で居なさい。人を信じられるようになるまで、ずっと一人で居ることだよ。少しも恥ずかしいことではないんだよ。 […] 」

柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋、2015年)

パート先の常連客の言葉に傷ついて母の胃に潰瘍ができたり、泉が彼氏の言葉に耳を真っ赤にしたりするのを見ればわかる。自分だけの体を持っている人はいない。みんな気がついていないだけで、みんなくっついて、みんなこんがらがっている。自分だけの体、自分だけの思考、自分だけの記憶、自分だけの感情、なんてものは実のところ誰にも存在しない。いろんなものを共有しあっていて、独占できるものなどひとつもない。

朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社、2024年)