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『むしろ逆かな』『うまく説明できるか』『分からないけど…』『自分にとって』『あたりまえの欲求が』『他人にとって』『暴力になるとしたら』どうする?、と促すように、おまえは眉毛をあげて彼女を見た。『欲求そのものを』『ガマンしようなんて』『自分を過信しすぎてる』『いつか自分本位に』『タガを外して』『誰かを傷付ける』『だから大切なのは』『欲望そのものが』『消滅するまで』『範囲を設定すること』『そう思う』。おまえは言葉を止めて、体を捻った。そして指を使って砂に漢字で、域、と一文字だけ書いた。『この漢字の意味は』『ゲームのフィールドとか』『フットサルのコートとか』『ボクシングのリングみたいな』『そういう意味なんだけど』『俺はこれを』『探してる』『ここは自分にとって』『そういう域だ』『不謹慎かもしれないけど』『君や彼らが』『延々とデートして』『喧嘩したり』『全力で競ってるのが』『すごく落ち着くんだ』。

安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)

花野は遠宮に手を摑まれた少年に近づき、屈んで視線を合わせた。

「あのねえ、あたしからもお願い。二度とあそこに行かないで」

「何でだよ。だってオレはお父さんのしたことのお詫びをしないといけないんだ!」

「君がしていることは、暴力なんだよ」

穏やかに花野が言い、少年が「は? なんで」と声を荒らげる。

「亡くなったひとの家族はね、失った辛さや寂しさを乗り越えるのに精いっぱいなんだ。罪を赦す余裕なんてないし、そもそも赦す必要なんてない。だってそうでしょう? 大事なひとを不条理に奪われただけで残酷なのに、どうしてその罪まで赦してあげなくちゃいけないの」

少年はまだ、ガーベラを握りしめていた。鮮やかに咲いた花がぶるぶると揺れる。

「君の『ごめんなさい』は君が赦してほしくてやってることだよ。相手の気持ちをまったく考えてない。こんなに謝ってるんだから、いいでしょう? 赦してくれたっていいでしょう? って相手に赦しを強制してるんだ。それは、暴力でしかないんだよ」

「じゃあ……、じゃあどうしろって言うんだよ。オレは本当に、お父さんのしたことを謝りたいんだ。しなくちゃいけないんだ!」

少年が地面に花を投げつけた。それを花野が拾い上げる。

「その気持ちは、いいと思う。でもね、だからって相手に押し付けていいことじゃないんだ。君がしないといけないことは、ずっと覚えていること」

花を少年の胸元に押し当て、花野は言う。失った命を、傷ついたひとの涙を、忘れないで。そして、二度とこんな哀しいことが起きないように、考えるの。どうしたらいいのか、考えて、行動するの。それが、償いだと思う。

町田そのこ『宙ごはん』(小学館、2025年)

まず、神を特段設定していないヒトにとって、善悪は決定的なものではありません。善とは〝共同体が目指すものを促進するもの〟、悪とは〝共同体が目指すものを阻害するもの〟に結びついていることが殆どで、ひどく流動的です(一方、神を設定していれば、自ずと善悪も固定されます。キリスト教徒にとっての善悪は聖書に、イスラム教徒にとっての善悪はクルアーンに、それぞれ記されています)。

たとえば殺人。現時点の日本で殺人は悪です。ですが死刑は認められています。国家という共同体の均衡を保つための行為ならば、特定の個体を殺す行為は悪ではなくなります。

つまり、同じ行為でも、共同体にもたらす影響によっては善にも悪にもなるのです。そして、悪とみなされた場合、所属していた共同体から追放されうるのです。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

どんな集団にもある程度のルールが必要だってことぐらい俺にもわかる。だけど、こいつらの気に食わねぇとこは、頭ん中がルールでガチガチのくせに、自分たちがやっていることを〝個性〟だの〝自由〟だのと呼んでいることだ。

いつも頭の中がルールでガチガチだから、いずれ大学の面接の時期になったら茶髪を黒髪に戻してロン毛を短髪にすることも余裕でやってのける。大学に入ったらまたルールに従ってブリーチして、そんで社会に出るタイミングでまたルールに従って黒髪に戻す。それの何が悪いと言われたら、何も悪くない。むしろ、正しい。そうだ、どうせ正しいんだろ?

若林正恭『青天』(文藝春秋、2026年)

宙の中の花野像はどんどん変わっていった。綺麗なお姉さんであったり、薄汚い謎のひとであったり、冷酷で自分に関心のないひとだったこともあった。同居人であったり、距離のある友人のようであったり、そしていまはとてもいい母といった感じがする。でも明日には、いい女友達に変わっているかもしれない。それでいいんだと思う。

町田そのこ『宙ごはん』(小学館、2025年)

「何故、そうやって武装するくせに、人を求めるんだ。ならば、一人で居なさい。人を信じられるようになるまで、ずっと一人で居ることだよ。少しも恥ずかしいことではないんだよ。 […] 」

柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋、2015年)

ロマン主義時代に生きたジョン・キーツ(Jhn Keats, 1795-1821)の「ネガティヴ・ケイパビリティ」(negative capability)という概念は、共感力をもつ自己像を表しているといえる。「ケイパビリティ=capability」とは、何かを達成する、あるいは何かを探究して結論に至ることのできる力を意味する。しかし、キーツのこの概念は、知性や論理的思考によって問題を解決してしまう、解決したと思うことではない。そういう状態に心を導くことをあえて留保することをさす。「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは、相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない「宙づり」の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力である。

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)