そして彼の中のひとりの律法学者が、イエスを試そうとして質問した。「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか」。イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい』。これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様に大切である。『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』」。
新約聖書「マタイによる福音書」22章 35〜39節
そして彼の中のひとりの律法学者が、イエスを試そうとして質問した。「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか」。イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい』。これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様に大切である。『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』」。
新約聖書「マタイによる福音書」22章 35〜39節
すると自分を正当化しようとして、イエスに言った、「では、わたしの隣人とはだれのことですか」。イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負おわせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリオン銀貨二枚を取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」。彼が言った、「その人に慈悲深い行ないをした人です」。そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」。
(新約聖書「ルカによる福音書」10章 29〜37節)
ケアの倫理は、抽象的な理念ではなく、目の前の状況を敏感に感じ取る能力、生き物に対する気づかい、真の共感を要する倫理でもある。
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)
「そうですね、……大祐さんの人生と混ざっていくのか、同居してるのか。──そうなると、僕たちは誰かを好きになる時、その人の何を愛してるんですかね? ……出会ってからの現在の相手に好感を抱いて、そのあと、過去まで含めてその人を愛するようになる。で、その過去が赤の他人のものだとわかったとして、二人の間の愛は?」
美涼は、それはそんなに難しくないという顔で、
「わかったってところから、また愛し直すんじゃないですか? 一回、愛したら終わりじゃなくて、長い時間の間に、何度も愛し直すでしょう? 色んなことが起きるから。」と言った。
平野啓一郎『ある男』(文藝春秋、2018年)
人は一般に、愛の方が性欲よりも崇高で、純粋だと勘違いしています。しかし、私に言わせれば、これは言語道断の誤解であって、愛などというのは、偽りと打算に満ちた、遥かに不純な代物です。愛が脆いのは、その混ぜ物のせいです。
しかし性欲は純粋です。それはただ、ひたすらに合一化だけを夢見る欲望であって、決して愛だとか、況してや生活だとか(!)に堕落することはないのです。
平野啓一郎『透明な迷宮』(新潮社、2014年)
欧米でも日本でも、個が「自律/自立する」ことを重んじる価値観が多数派である一方、「依存する」あるいは「関係性をむすぶ」というケアの価値観はまだまだ少数派のものである。資本主義社会において新自由主義的な文化が支配的な文脈では、〈ケア〉の価値が貶められてきたからだ。
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)
目の前で苦しんでいるひとがいたら、自分の利害はともかく、とりあえず放っておけないという憐れみの感情。反省以前の情念。精神分析の言葉を用いるならば「無意識」の反応。じつはローティは、たいへん興味深いことに、そのような心の状態こそを「リベラル」と呼ぼうという提案を行っている。「残酷さこそ私たちがなしうる最悪のことだと考える人びとが、リベラルである」と彼は宣言している。これはずいぶんと奇妙な提案である。というのも、「リベラル」ないし「リベラリズム」は一般には、あらためて指摘するまでもなく、自由という理念を重視する人々、およびその思想を意味する政治用語であり思想用語だからである。にもかかわらず、ローティは、それをあえて、理念を必要としない、身体的な反応を意味する言葉として捉え返した。ここには明らかに、自由とは、抽象的な理念ではなく、むしろ、動物としての人間がたがいに憐れみを抱き感情移入をしあう、その具体的な状態をこそ意味する言葉だったのではないか、そのような問題提起が込められている。
東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)