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勧善懲悪の物語が成立するためには、冷酷非情な殺人者といった懲らしめられるべき〝悪人〟が必要だ。しかし、私は保育園などで、まだ生まれて間もない子供たちを見ていて思うのだが、この無邪気な子供たちの誰かが、将来、殺人者になるとして、それは本当にこの子たちの自己責任なのだろうか? 子供たちは、社会の中で様々な分人化を経験して、大人になる。そうすると、犯罪の責任の半分は、やはり社会の側にある。

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社、2012年)

花野は遠宮に手を摑まれた少年に近づき、屈んで視線を合わせた。

「あのねえ、あたしからもお願い。二度とあそこに行かないで」

「何でだよ。だってオレはお父さんのしたことのお詫びをしないといけないんだ!」

「君がしていることは、暴力なんだよ」

穏やかに花野が言い、少年が「は? なんで」と声を荒らげる。

「亡くなったひとの家族はね、失った辛さや寂しさを乗り越えるのに精いっぱいなんだ。罪を赦す余裕なんてないし、そもそも赦す必要なんてない。だってそうでしょう? 大事なひとを不条理に奪われただけで残酷なのに、どうしてその罪まで赦してあげなくちゃいけないの」

少年はまだ、ガーベラを握りしめていた。鮮やかに咲いた花がぶるぶると揺れる。

「君の『ごめんなさい』は君が赦してほしくてやってることだよ。相手の気持ちをまったく考えてない。こんなに謝ってるんだから、いいでしょう? 赦してくれたっていいでしょう? って相手に赦しを強制してるんだ。それは、暴力でしかないんだよ」

「じゃあ……、じゃあどうしろって言うんだよ。オレは本当に、お父さんのしたことを謝りたいんだ。しなくちゃいけないんだ!」

少年が地面に花を投げつけた。それを花野が拾い上げる。

「その気持ちは、いいと思う。でもね、だからって相手に押し付けていいことじゃないんだ。君がしないといけないことは、ずっと覚えていること」

花を少年の胸元に押し当て、花野は言う。失った命を、傷ついたひとの涙を、忘れないで。そして、二度とこんな哀しいことが起きないように、考えるの。どうしたらいいのか、考えて、行動するの。それが、償いだと思う。

町田そのこ『宙ごはん』(小学館、2025年)

「加害者に回りたかったわけじゃない。必死に生きようとしたら、誰かを傷つけた。自分の人生を摑もうとがむしゃらに手を振り回したら、誰かの人生を殴ってしまった。おれはそれを罪と思えない。 […] 」

町田そのこ『蛍たちの祈り』(東京創元社、2025年)

「ずっと振り回されて生きてきたのに、これからも我慢し続けるなんて無理だよ。そんなのわたしの方が死んでしまう。わたしはママを殺さなくちゃ、自由に生きられないの! もう、ぎりぎりなんだよっ」

「じゃあ、梅野さんが死ぬしかない」

桐生が何でもないことのように告げ、可憐はひゅっと息を吞む。桐生の目には、どんな感情の波もない。

「ひとが己の手で終わらせていいのは、己の命だけだよ。他者の命は決して奪ってはいけない」

強い風が吹き、道路から小さな悲鳴が聞こえた。やだあ、髪が崩れちゃう。どこか浮ついた女の子たちの声がふわふわと響き、遠ざかる。

「絶対に、奪うだけではすまない。命の代わりに大きな罪と臭いを背負って生きなければいけないんだ。その苦しみは、奪って手に入れたものを軽く凌駕する」

そんなはずがない。殺さなければこの不幸から抜け出せない。そう言い返したいのに、言えない。可憐が、いつの間にか滲んだ涙を乱暴に拭うと、桐生が困ったように視線をさ迷わせる。

「ごめん、言い方が悪かったな。おれは喋るのがあまり得意じゃないんだ。ええとね、ひとを殺したって、ちっとも救われないんだ。苦しみが姿を変えるだけ。例えば……君はお母さんが憎いんだよね? でもお母さんを殺すと、今度は『母殺し』という別の苦しみに向き合わないといけなくなる。その罪が明らかになろうが、なるまいが関係ない。自分だけは知ってるんだから。そしてね、お母さんとはいつか縁を切ろうと思えば切れるけど、『母殺し』という自分の苦しみからは一生逃れられないんだ」

「だから、自殺するしかないってこと?」

愛を殺しても、愛との関係のかたちが変わるだけで離れられないというのなら、自分が死ぬしかない。新しい絶望に言葉を失う可憐を見て、桐生は「死ねって言ってるわけじゃなくてさ」と頭をがりがり搔いた。

「ごめん。おれの言い方が完全に悪い。命のやり取りまでしなくても、現状から抜け出せる道は絶対にあるってことを言いたいんだ。 […] 」

町田そのこ『蛍たちの祈り』(東京創元社、2025年)

「何か、よほどのことがあれば、人を殺してもいいという考え自体を否定することが、殺人という悪をなくすための最低条件だと思う。簡単ではないけど、目指すべきはそっちだろう。犯人のことは決して赦さないだろうけど、国家は事件の社会的要因の咎を負うべきで、無実のフリをして、応報感情に阿るのではなくて、被害者支援を充実させることで責任を果たすべきだよ。いずれにせよ、国家が、殺人という悪に対して、同レヴェルまで倫理的に堕落してはいけない、というのが、俺の考えだよ。」

平野啓一郎『ある男』(文藝春秋、2018年)

「べつに子供なんて男でも女でもいいんだよ」疲れ切ったようにパパは笑った。「っしょーじきな話。血まみれの赤ん坊が命がけで産まれてきて、それみて男か女かなんていちいち考えないだろ。それが本当の気持ちだよ。これが本当の親のエゴ。自分の子供なら、親は正直どっちでも可愛いです。まじでどっちでもいいの。親だけの気持ちでいったら、ね? でもさ汽水くん、そんなふうに子育てって決めれないんだよ。君もいつか子供持つか分かんないけど、その子が何をもって幸せかって、親が決めてはいけないんですよ。何をもって健康で、何をもって幸せと定義するのかって、あらかじめ基準がいっぱい決まってるんだよ。

いま、出生前診断っていうので世界的に障害を持った胎児の中絶が増え続けてるっていうのがあるんですけど……年々だよ? それは生まれてくる前の段階から、こうあるべきってことが決められてることも関係があるんだよ。これ綺麗事じゃない。ハーフの子供だってそう。同じようにうんと中絶の対象になってる。汽水くんやモモと同じような子供たちが、生まれてからも児童養護施設にたくさん預けられている現実があるんだよ。君のとこだって、お姉さん二人いるよね。それで末っ子の君が生まれて、その下にはもう、誰も生まれていないよね。そういう男の子が末っ子のきょうだいってすごく多いよ。多いけど、だからって親御さんに全く愛情がない訳じゃないでしょう。むしろ逆だよ。食い物ひとつとってもそう。この子にいいものをたくさん食べさせてあげたいって気持ちで与えるものが、本当にその子にとっていいものなのか。油断したら中毒を起こすかもしれない。それを一個一個親だけで判断するなんて、とても恐ろしくてできないんですよ。絶対に親だけで決めちゃいけないんだってことを、子育てしてると何度も思い知るんだよ。親なんてな、子供のこと、ほぼひとつも決めてあげられないから。 こうすべし、っていうマニュアルを一個一個執拗に潰しながら参照するしかないんだよ。男に生まれたら男に育つのが健康っていう、それが今のルールなら、おれはまずそれを参照する。僕はなるべく、自分の一番大切な子供がそうなれるように、監督する責任がある」

安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)

まず、神を特段設定していないヒトにとって、善悪は決定的なものではありません。善とは〝共同体が目指すものを促進するもの〟、悪とは〝共同体が目指すものを阻害するもの〟に結びついていることが殆どで、ひどく流動的です(一方、神を設定していれば、自ずと善悪も固定されます。キリスト教徒にとっての善悪は聖書に、イスラム教徒にとっての善悪はクルアーンに、それぞれ記されています)。

たとえば殺人。現時点の日本で殺人は悪です。ですが死刑は認められています。国家という共同体の均衡を保つための行為ならば、特定の個体を殺す行為は悪ではなくなります。

つまり、同じ行為でも、共同体にもたらす影響によっては善にも悪にもなるのです。そして、悪とみなされた場合、所属していた共同体から追放されうるのです。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)