「傷モノは絶対に泣き言を言っちゃいけないんだ」。それがMr.マドリードのルールだった。「それに現代のように、いち個人の行動とバックグラウンドとを安易に結びつける社会で、トラウマを開示することはつまり、人格をジャッジする権限を明け渡すようなものだよ。他人にペラペラ教えるべきじゃない」
安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)
「傷モノは絶対に泣き言を言っちゃいけないんだ」。それがMr.マドリードのルールだった。「それに現代のように、いち個人の行動とバックグラウンドとを安易に結びつける社会で、トラウマを開示することはつまり、人格をジャッジする権限を明け渡すようなものだよ。他人にペラペラ教えるべきじゃない」
安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)
「皆が足並みを揃えていないと駄目なんだ。何で三十代半ばなのにバイトなのか。何で一回も恋愛をしたことがないのか。性行為の経験の有無まで平然と聞いてくる。『ああ、風俗は数に入れないでくださいね』なんてことまで、笑いながら言うんだ、あいつらは! 誰にも迷惑をかけていないのに、ただ、少数派だというだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する」
村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋、2021年)
無償の窃視という素朴さ! 「不思議の国」を覗き回ってそれで済まされるという素朴さ! いまやリンクを「踏む」というのは多少なり詐欺(グローバルな)に引っかかることであり、利害の分岐にコミットすることであり、かつてヴァーチャルと言われたネット空間は、厳しい現実にすっかり飲み込まれてしまった。もはやヴァーチャル「でしかない」ものではない。マルチメディアもハイパーリンクも、生臭い食い扶持になってしまった。
千葉雅也『意味がない無意味』(河出書房新社、2018年)
世界に素手で触れていること、その手触りを人間間の相互評価のゲームではなく、開かれた事物の生態系に関与できることで得られる場所であること、それが「庭」の条件として必要になる。これは、これまで確認してきた「庭」のふたつの条件を総合したものでもある。そして、このとき重要なのが、私たちがそこにある事物とその生態系に「かかわる」ことができても、「支配」することはできないということだ。
私たちが庭の花に手を入れたとき、たしかにその場所に関与し、変化を与えることができる。しかし私たちはその場所を、完全に支配することはできない。庭の生態系は庭の外部に常に開かれている。花の種は虫に運ばれて、次の春には私たちが予想もしなかった庭の隅に芽を出すかもしれないし、外側から飛来した見知らぬ草の種が芽吹いて丁寧に刈りこんだ芝生を台なしにしてしまうかもしれない。あるいは、どこからともなく飛来したバッタの群れが、すべてを食い荒らすかもしれない。人間には「庭」を完全に支配し、コントロールすることができないのだ。しかし、この不完全性こそがその場所を、プラットフォームの貧しさから解放するのだ。
宇野常寛『庭の話』(講談社、2024年)
自分はいつか結婚するんだろう、と二谷は思っている。結婚がしたいわけではなくて、結婚したくないと思ったことがないからだった。世の中には一生結婚しないと決めている人もいるけれど、そういうのは確固たる意志がある人だけが決意するものであって、特に何の希望もない自分のような者は、いつか結婚しなければ辻褄が合わない。ならば、喜んでくれる人が多いうちにしてしまうのがいいんだろう、そんなふうに考えていた。
高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社、2022年)
遠くに行きたかった。遠くというのはずっと距離のことだと思っていた。両親も弟も繰り返しを繰り返していた。おれは多分それが嫌だった。遠くに行きたいというのは、要するに繰り返しから逃れることだった。自転車便をやっていた頃の後輩がいつだったかに言っていた「ゴール」も多分そこのことだった。
「ほんの少しだけ違うことをさ、認めるだけでおんなじような毎日が、だから変わっていくんじゃないかなあ。ぼくもさ、ずっと変わらない毎日を変わっちゃいけない毎日だと思い込もうとしてたから苦しかった気がするんだよなあ」
砂川文次『ブラックボックス』(講談社、2023年)
アメリカとカナダの研究者であるロビンソンとゴッドベイは、一九九九年の論文で、価値がないと自覚している活動に時間を使う人々の姿を、テレビを例に描出している(実際、テレビを見ることは、多くの人が他の活動より「満足度が低い」と答えている)。なぜ忙しい合間を縫ってまで、わざわざ価値が低いと思っているものに時間を使ってしまうのか。彼らは、テレビが断片的な時間をつぶすのに使える数少ない方法であり、予習も復習も必要なく、最小限の心的、身体的エネルギーしか必要としないからだと指摘する。「忙しい合間を縫って」いるからこそ、私たちには忙しい合間でできるような、ぱっとしない時間の使い方しかもう残されていなかったのである。本当にやりたいことは、断片的にはしづらいのだ。
難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)