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思えばあとのふたりにもあたらしい恋人ができたり、転職を考えていたりと、まるであのときの私たちは、ばらばらになることをしめしあわせたようであって、あたらしいところへいこうとか、いかなければとか、このままこうしていてもどうにもならないしとか、そういうことを思っていたような、思うしかなかったような気がしてならない。

しかし解散について、三人で向かい合って話し合った記憶がどうもなく。つまりすべてのやりとりはそれぞれのアイフォーンの中で行われ、定められ、決まったのじゃなかったか。

私たちはおおきな喧嘩をしたり、言い合ったり、殴り合ったりしたことは、勿論、なかったけれど、次へ行くと決めた人間というものは、そうやって、自然に、当たり前に、さらりと顔を合わせなくなるものであるのだと、私はそのとき知ったのだった。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「二谷さんと食べるごはんは、おいしい」

押尾さんがほほ笑んで言う。ほほ笑んでから言ったというよりは、その言葉を言うために唇を動かしたら目じりや頬も一緒に動いた、という感じのほほ笑み方だった。

「二谷さんは目の前にある食べ物の話をほとんどしないから、わたしも、これおいしいですねとか、すごいふわふわとか、いちいち言わないで済んで、おいしくても自分がおいしいって思うだけでいいっていうのが、すごくよかった。おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手だったんだなって、思いました。苦手なだけで、周りに合わせてできてはしまうんですけど。甘いのが好きとか苦手とか、辛いのが好きとか苦手とか、食の好みってみんな細かく違って、みんなで同じものを食べても自分の舌で感じている味わいの受け取り方は絶対みんなそれぞれ違っているのに、おいしいおいしいって言い合う、あれがすごく、しんどかったんだなって、分かって。二谷さんとごはんを食べる時はそれがなかったからよかった。一人で食べてるみたいで。でもしゃべる相手はいるって感じで。[…]」

高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社、2022年)

「可哀想だけど、あんたがどんなにあがいても、もうあの夜は取り戻せないんだよ。おひょうさんはもうあんたと違う場所に立って、違うものを見ている」

栄利子は手すりからずるずると体をすべらせ、そのまま床にうずくまった。それでも、圭子はしゃべるのをやめようとしない。

「思い出は思い出として大切にとっておけばいいじゃない。たとえ幻だったとしても、楽しい時間を一瞬でも過ごせたんだから、それでいいじゃない。私には確認しようもないけど、もし、本当にその瞬間、あんたたちの心が通い合っていたとしたら、その夜は宝石みたいなもんなんじゃない? 取り戻せないからこそ、大切な時間だよ。それなのに、あんたはその奇跡に感謝しようともしない。あってしかるべき状態と決めつけている。相手にあれと同じものをもっとくれ、としつこく要求するのはやめなさいよ」

柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋、2015年)

スーパーマーケットをふらふらしていると、ペヤングの超大盛りが目についた。

私はそれを三つ買って帰り、黒のマジックペンで『すべてがどうでもよくなったときのためのペヤング』と書いてみる。りんごちゃんの、めろんちゃんの、小原の、とひとつひとつに名前も書き入れ、台所に並べる。

すべてがどうでもよくなったとき、私はふたりのそばにいないかもしれないし、そもそも私ではなんの役にもたたないかもしれない。

ならば食い意地の張っている、きっと落ち込んだときにもたくさん食べるタイプの君たちに、ペヤングの超大盛りをひとつあげます。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

私はティッシュを二枚とり、すばやくとんとんしながら、保育園のときにもこういうことがあったなあと思い出して、人間って変わらないなあと主語を大きくしながら恥ずかしさを誤魔化すための感慨にふけり、でも、他人と一緒に住むって、失敗を笑ってもらえるということでもあるのだなあと、うれし恥ずかし感じ入り、そういう、私たちの、はじめての夜だった。

小原晩『これが生活なのかしらん』(大和書房、2023年)

「くそダセえ。大人になれないのはあたしじゃねえ、てめえだよ。ママの大事な僕チャンをいい加減、卒業しろよ。自分だけは大切にされて当たり前とでも思ってんだろ。この短小が。あたしのことをどうこう言う前にてめえのテクのなさをどうにかしろよ。おら、立て、おら。そもそも、もろくない人間関係なんてこの世界にあんのかよ。女と女も、男と女も、男と男もみんなおんなじだろうが。どんな関係も形を変えたり、嫌ったり嫌われたり、距離を測ったり、手入れしながら、辛抱強く続けていくしかねえんだよ。たかが関係一つ手に入れただけで腹一杯になれるもんか。なんもしないですべてが満たされて承認されて、問題全部解決するわけないだろうが。 […] 」

柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋、2015年)

祐治は晴海を思い、知加子の腹の中で成長をとめた子を思い、苦悩に悶えた。生きている間の辛苦は本人と共有できるが、死は別だ。死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける。

佐藤厚志『荒地の家族』(新潮社、2023年)