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ケアの倫理は、抽象的な理念ではなく、目の前の状況を敏感に感じ取る能力、生き物に対する気づかい、真の共感を要する倫理でもある。

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)

そして彼の中のひとりの律法学者が、イエスを試そうとして質問した。「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか」。イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい』。これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様に大切である。『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』」。

新約聖書「マタイによる福音書」22章 35〜39節

すると自分を正当化しようとして、イエスに言った、「では、わたしの隣人とはだれのことですか」。イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負おわせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリオン銀貨二枚を取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」。彼が言った、「その人に慈悲深い行ないをした人です」。そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」。

(新約聖書「ルカによる福音書」10章 29〜37節)

花野は遠宮に手を摑まれた少年に近づき、屈んで視線を合わせた。

「あのねえ、あたしからもお願い。二度とあそこに行かないで」

「何でだよ。だってオレはお父さんのしたことのお詫びをしないといけないんだ!」

「君がしていることは、暴力なんだよ」

穏やかに花野が言い、少年が「は? なんで」と声を荒らげる。

「亡くなったひとの家族はね、失った辛さや寂しさを乗り越えるのに精いっぱいなんだ。罪を赦す余裕なんてないし、そもそも赦す必要なんてない。だってそうでしょう? 大事なひとを不条理に奪われただけで残酷なのに、どうしてその罪まで赦してあげなくちゃいけないの」

少年はまだ、ガーベラを握りしめていた。鮮やかに咲いた花がぶるぶると揺れる。

「君の『ごめんなさい』は君が赦してほしくてやってることだよ。相手の気持ちをまったく考えてない。こんなに謝ってるんだから、いいでしょう? 赦してくれたっていいでしょう? って相手に赦しを強制してるんだ。それは、暴力でしかないんだよ」

「じゃあ……、じゃあどうしろって言うんだよ。オレは本当に、お父さんのしたことを謝りたいんだ。しなくちゃいけないんだ!」

少年が地面に花を投げつけた。それを花野が拾い上げる。

「その気持ちは、いいと思う。でもね、だからって相手に押し付けていいことじゃないんだ。君がしないといけないことは、ずっと覚えていること」

花を少年の胸元に押し当て、花野は言う。失った命を、傷ついたひとの涙を、忘れないで。そして、二度とこんな哀しいことが起きないように、考えるの。どうしたらいいのか、考えて、行動するの。それが、償いだと思う。

町田そのこ『宙ごはん』(小学館、2025年)

「べつに子供なんて男でも女でもいいんだよ」疲れ切ったようにパパは笑った。「っしょーじきな話。血まみれの赤ん坊が命がけで産まれてきて、それみて男か女かなんていちいち考えないだろ。それが本当の気持ちだよ。これが本当の親のエゴ。自分の子供なら、親は正直どっちでも可愛いです。まじでどっちでもいいの。親だけの気持ちでいったら、ね? でもさ汽水くん、そんなふうに子育てって決めれないんだよ。君もいつか子供持つか分かんないけど、その子が何をもって幸せかって、親が決めてはいけないんですよ。何をもって健康で、何をもって幸せと定義するのかって、あらかじめ基準がいっぱい決まってるんだよ。

いま、出生前診断っていうので世界的に障害を持った胎児の中絶が増え続けてるっていうのがあるんですけど……年々だよ? それは生まれてくる前の段階から、こうあるべきってことが決められてることも関係があるんだよ。これ綺麗事じゃない。ハーフの子供だってそう。同じようにうんと中絶の対象になってる。汽水くんやモモと同じような子供たちが、生まれてからも児童養護施設にたくさん預けられている現実があるんだよ。君のとこだって、お姉さん二人いるよね。それで末っ子の君が生まれて、その下にはもう、誰も生まれていないよね。そういう男の子が末っ子のきょうだいってすごく多いよ。多いけど、だからって親御さんに全く愛情がない訳じゃないでしょう。むしろ逆だよ。食い物ひとつとってもそう。この子にいいものをたくさん食べさせてあげたいって気持ちで与えるものが、本当にその子にとっていいものなのか。油断したら中毒を起こすかもしれない。それを一個一個親だけで判断するなんて、とても恐ろしくてできないんですよ。絶対に親だけで決めちゃいけないんだってことを、子育てしてると何度も思い知るんだよ。親なんてな、子供のこと、ほぼひとつも決めてあげられないから。 こうすべし、っていうマニュアルを一個一個執拗に潰しながら参照するしかないんだよ。男に生まれたら男に育つのが健康っていう、それが今のルールなら、おれはまずそれを参照する。僕はなるべく、自分の一番大切な子供がそうなれるように、監督する責任がある」

安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社、2024年)

まず、神を特段設定していないヒトにとって、善悪は決定的なものではありません。善とは〝共同体が目指すものを促進するもの〟、悪とは〝共同体が目指すものを阻害するもの〟に結びついていることが殆どで、ひどく流動的です(一方、神を設定していれば、自ずと善悪も固定されます。キリスト教徒にとっての善悪は聖書に、イスラム教徒にとっての善悪はクルアーンに、それぞれ記されています)。

たとえば殺人。現時点の日本で殺人は悪です。ですが死刑は認められています。国家という共同体の均衡を保つための行為ならば、特定の個体を殺す行為は悪ではなくなります。

つまり、同じ行為でも、共同体にもたらす影響によっては善にも悪にもなるのです。そして、悪とみなされた場合、所属していた共同体から追放されうるのです。

朝井リョウ『生殖記』(小学館、2024年)

欧米でも日本でも、個が「自律/自立する」ことを重んじる価値観が多数派である一方、「依存する」あるいは「関係性をむすぶ」というケアの価値観はまだまだ少数派のものである。資本主義社会において新自由主義的な文化が支配的な文脈では、〈ケア〉の価値が貶められてきたからだ。

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)