ホッブズの考えはこうだ。人間はそもそも平等である。それは平等の権利をもっているとか、平等に扱われなければならないとかいった意味ではない。人間など一人一人はどれも大して変わらないということである。
たしかに力の強い人間もいるし、反対に非常に力の弱い人間もいる。しかし、どんなに力が強い人間であっても、何人かで徒党を組んで立ち向かえば打ち倒せないほどではない。人間の間の力の差とはその程度のものである。体を動かせない人間ですら、仲間を集めて彼らに指示すれば、力の強い人間を押さえつけることができるだろう。人間の力比べは所詮ドングリの背比べの域を出ない。ホッブズはこのような人間の力の平等を議論の出発点とする。
ここから次のような帰結が導き出されることになる。人間がその力において大差ないとすると、人間はだれもが同じように同じものを希望すると予想されることになる。なぜなら、「あいつがあれをもっているなら、俺もそれをもっていていいはずだ」と思えるようになるからだ。これを〈希望の平等〉と言う。
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ホッブズの考えでおもしろいのは、彼が平等を無秩序の根拠と考えているところだ。不平等なら秩序が自然に生まれる。だれがだれに従わねばならないかが明確であり、疑いようがないからだ。だが、人間の力は平等であり、たいした差はない。それ故に〈希望の平等〉が、そして無秩序が生じる。
(國分功一郎、2021『暇と退屈の倫理学』新潮社)