2024-08-17
Podcast「岩首談義所談義」を始めた 「岩首談義所談義」というPodcastを始めた。新潟県佐渡市の旧岩首村にかつて存在した「岩首談義所」という施設にまつわる思い出や経験を記録し、その価値を伝えることを目指して始めたものだ。先ほど初回のゲストとの収録を終え、いまそれを聞き返しながらこの文章を書いている。
岩首談義所談義 https://open.spotify.com/show/09rBYoieFXHcELiibVmsk6
岩首談義所とは、新潟県佐渡市の旧岩首村地域に存在していた施設である。2007年に廃校となった岩首小学校を再利用して設立されて以来、長年にわたり、催し物の開催や高齢者の憩いの場、子どもたちの遊び場として、住民たちの交流の中心となっていた。また、環境調査の拠点や大学生の合宿地としても活用され、東京工科大学、早稲田大学、横浜市立大学といった首都圏の大学生や大学関係者など年間約400人が訪れる場でもあった。このように、長く地域内外の人々に親しまれてきたが、2023年に集落の自治組織の判断によって閉鎖されることになり、今年度には建物の解体工事が予定されている。
「談義所」という一風変わった名称は、発足に関わった哲学者で東京工業大学名誉教授の桑子敏雄氏のアイデアによるものだ。桑子氏は、岩波『図書』2012年12月号で岩首談義所について触れながら「民主的談義は、地域社会の重要な課題を現場で切実に感じることのできる人々の直接的な話し合いによる問題解決の方法」と説明している。こうした背景からも分かるように、岩首談義所は単なるコミュニティスペースに留まらず、地域社会の課題解決を目指して運営されてきた。
僕が岩首談義所を初めて訪れたのは2013年で、大学の部活の合宿地として利用させてもらったのがキッカケだった。それ以来、閉鎖されるまでの十年間、コロナ禍を除いて年間三、四回のペースで通い続けた。時には一ヶ月以上滞在し、用務員室で寝泊まりしながら、村人たちの日常をぼんやりと眺めて過ごすこともあった。東京のITベンチャーでソルジャーとして戦いに明け暮れていた僕にとって、それはまさに心の奥に深く沁み入る安らぎのひとときだった。
二十代の頃は、ゴールデンウィークや夏休み、シルバーウィーク、冬休みなど、まとまった休みがあるたびに大学の友人や職場の同僚を連れて談義所に足を運んだ。半ば無理やり連れてこられた者も少なくないが、僕の友人では、岩首に訪れたことのない者の方が少ないくらいだろう。
とにかく、僕はこの施設に強い思い入れがあり、もっとも熱心な外部者の一人だった。だからこそ、閉鎖と解体が決まったことはとても残念に感じている。しかし僕がそれを嘆いてみせたところで、自己満足以上の意味はない。地域に住む人たちの意思決定について、そこで暮らしているわけでもなく、その未来に責任を負わない立場から意見を述べることは慎むべきだ。
僕にできるのは、これまで運営に尽力してきた人々に感謝の意を表すこと、そして、岩首談義所というプロジェクトから僕たち、さらには後世の人たちが何かを受け継ぐための道筋を示すことだ。そうした思いを胸に、Podcastを始めることにした。
このPodcastの目的は、いまは亡き「岩首談義所」の価値を伝えることだ。ただし、対象そのものを直接描写するのではなく、対象が周囲に与えた影響を観察することで、その価値を表現したいと考えている。そのために僕は友人たちを訪ね、談義所にまつわる語りを集めていくつもりだ。
また、サブテーマとして「継承」を掲げている。岩首談義所が消滅の危機に直面したとき、多くの関係者がこの問題に向き合った。その功績として、最終的に談義所は閉鎖されたたものの、近隣の施設に一部の機能が引き継がれ、これまで行われていた催事や取り組みも継続されている。また、運営組織は社団法人化され、属人的だった業務が体系化されつつある。これは正当な継承の一つといえるだろう。しかし、今回の出来事を通じて、僕は現代社会には従来の継承とは異なる(あるいはそれを補う)新たなオプションを模索する必要があると感じるようになった。だから、この機会に継承という営みについて、友人たちと共に深く話し合ってみたいと思う。
一つのヒント、手がかりとなるのが「ミーム(情報因子)」という概念だ。
この言葉は、近年「ネットミーム」や「猫ミーム」という表現で一般に浸透しているが、もともとはリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』の中で提唱した造語であり、英語の「gene(遺伝子)」と、ギリシャ語の「mimeme(模倣)」を組み合わせたものである。生物が交配というコミュニケーションを行い、遺伝子を通じて情報を伝達するように、文化も何らかのコミュニケーションを行って情報因子を渡し、文化を伝達する(例えば、僕の顔立ちは遺伝子によって伝えられたもので、服装はミームによって伝えられたものだ)。
文化を伝達するコミュニケーションには、師匠が弟子に伝える技術や知恵、企業における社員教育プログラム、村での祭りの準備や稽古といったものが挙げられる。母親が家庭内での伝統的な料理の作り方を子どもへ伝えることや、家父長制において父親から長男へと伝えられる家業や伝統的価値観などもその一例といえるだろう。
これらは個人がその人生の一部を共同体に捧げる態度が前提となっており、それゆえに個の自己実現を重視する現代社会では、次第に受け入れられにくくなっているように感じる。そこで、もっと僕たちにふさわしい、これまでと違った継承のあり方を模索したい。情報の伝達手段が飛躍的に進化し、日常的に接する情報量が増え、人間と情報の関係が大きく変化している時代だからこそ、きっと新しい形でミームを伝えられる可能性もあるはず。その一つが、このPodcastだ。
僕はこのPodcastに、友人たちの力を借りながら、岩首談義所のミームをありったけ詰め込むつもりでいる。そして岩首談義所という文化を継承することを共通の目的として談義を交わし、新たな継承のあり方を形にしていきたい。
2024-08-14
テツのWebサイトを作った 大学時代のルームメイト・テツが開業したので、お盆付近の三連休を使ってWebサイトを作成した。
広島市の行政書士事務所・イエローテイル https://yellowtail-legal.com/
制作は、横浜にいる僕と広島にいるテツの間で、Google Meetを繋ぎっぱなしにしながら行った。Figmaで荒っぽく構成を書いた後、そのままStudioを開いてサイト構築に取り掛かる。テキストコンテンツをテツにStudio上で入力してもらいながら、僕が同時進行でレイアウトとスタイリングを整えていく。
「サービスの特徴は、ニーズを並べて説明してみよう」
「問い合わせから着手までのフローチャートがあった方が便利じゃない?」
「そういえば、料金表が必要かも」
アイデアが出るたびに、サイトマップのレベルでガシガシ変更を加えていく。まるで炭鉱を力任せに掘り進めているようだった。マトモな制作会社のPMが見たら卒倒してしまいそうな光景だが、気心の知れた仲間と小さなサイトを作るなら、こういう荒っぽいやり方も捨てたもんじゃない。むしろStudioの真価が最も発揮される瞬間とも言える。
ただ今回は、並行してChooningの公式サイト のリニューアルを行なっており、そっちではFramer (海外のStudioに似たツール)を使っていた。StudioもFramerも同じノーコードのサイト構築ツールで、似たようなインターフェースなのだが、StudioではCommand + Gでグループ化できるのにFramerではそれができない(Option + Command + Returnになる)とか、Framerではmax-widthを指定することができるけどStudioではできないとか、マルチデバイスに対応する際の上書きルールが異なるとか、細かな違いがいくつもある。なんならFigmaも同じような見た目をしているので、それぞれの画面を行き来していて気が狂いそうになった。
ものづくりを仕事にしていてよかったと感じるのは、友人が必要としているものを、自分の手で作り、届けることができることだ。
今回のサイトの中にテツの略歴を掲載した箇所があり、その部分は僕が書いたのだが、僕はこの文章を一筆書きで、諳んじるようにして書くことができた。あまりに自然に書けたことに驚き、改めて彼が身近な存在であることを感じる。そして、そんな友人の門出に寄り添ってものを作れることが、何より嬉しかった。
略歴 : 1990年、広島市に生まれる。修道中学校・高等学校を卒業後、横浜市立大学に進学。在学中、横浜市寿町にてホームレスの自立支援活動に取り組み、フィリピンで語学留学を経験。大学卒業後、大和証券株式会社に入社。その後、株式会社LITALICOに転職し、障害者の就労支援に携わる。さらに数社でキャリアを積み、シンガポールやカンボジアなど海外での就労も経験。2024年、行政書士資格を取得し、故郷の広島市にて行政書士事務所「YellowTail」を開業。
中高時代は野球部で内野手を務め、現在も草野球で汗を流している。大学時代からE&Jカシアス・ボクシングジムでボクシングを始め、プロライセンスを取得。今でも毎日のトレーニングを欠かさない。
テツと出会ったのは2009年、僕が横浜市大に入学して一ヶ月も経っていない頃だった。沢木耕太郎と水島新司が好きな僕たちは、その二年後に共同生活を始めた。二十代前半をラーメン屋の上の豚骨の匂いが染みついた部屋で三年間(テツの留学期間があったので、実質的には二年間)共に過ごした僕たちは、お互いの人間性における重要な部分を(つまりお互いがどれほど愚かな男であるかということを)かなり決定的に理解していると思う。その後の十年で生活習慣や人生観は変わっているはずだが、不思議なことに、その変化も含めてあの頃の姿と寸分違わないように感じられる。これはきっと、数式でいうところの「傾き」を理解しているということなのだと思う。まるで移動する点Pの軌跡を追うように、こういうふうに変わっていくんだろうな、という変化の方向やスピードを捉えているので、変化した姿も含めて理解の範疇にあるということだ。
与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」に「友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分の熱」という僕の好きな一節がある。「義理人情と情熱を併せ持ち、知的好奇心に溢れた者を友達に選びなさい」という意味だと解釈しているが、テツと付き合っていると、まさにこの言葉通りの人物だな、と思うことがある。彼が行政書士として新たな一歩を踏み出すと聞いたとき、僕はその人柄が多くの人々を支える力になるに違いないと確信した。だから、もし法律業務や行政手続きで悩んでいることがあれば、一人で抱え込まずにテツに相談してみてほしい。きっと力になってくれるはずだ。
2024-06-20
プロダクト開発とユーザーとの摩擦 5月から6月にかけて、Chooningのアップデートを重ね、新たな機能を続々とリリースした。アーティストのアカウント認証機能、プロフィール共有機能、Spotify視聴履歴に基づいたおすすめ投稿機能などを実装し、さらに中国語(繁体字)版インターフェースもリリースして、この夏は台湾市場への進出も見据えている。
しかし、どんな施策も万人に受け入れられるわけではない。アプリのアップデートは歓迎されるばかりではなく、ときに「改悪だ」という厳しい意見も寄せられる。開発者は、データベースに記録される値や計測ツールの結果、インタビューを通じたユーザーの声など、様々な情報のもとに開発内容を決めている。それでも、すべてのユーザーを満足させることはできない。長くサービスを続けていれば、開発者とユーザーの間には大なり小なり摩擦が生じる。
一般的によくあるのは、サービス側が収益性を高めようとする施策だろう。例えば、目立つ場所に広告を配置したり、広告の表示頻度を上げたりすればユーザーは不快に思う。動画や漫画の続きを見ようとして、下手くそなゲームのプレイ動画を数十秒見せられてイライラした経験をしたことのある人は多いだろう。Chooningにはそういった仕組みはないが、僕は会社員としてプロダクトを作っていたとき、この手の実装をする際には心苦しく思っていたし、実際にリリース後のSNSでユーザーの毒づく声を目にしてよく落ち込んでいた。
Chooningでは収益性を求める施策は行っていないものの、だからといってユーザーの不満を買わずにやれているわけではない。むしろ、より切実な衝突を感じることがある。例えば、ユーザーのプロフィールをシェアできるようにした件については「お互いにフォローせず、時々お邪魔するのが楽しみだったのに」といった声が上がった(恐らく相互フォローを促進する意図があると受け止められたのだろう)。また、おすすめフィードを実装した件については「ファーストビューがメジャーなアーティストで埋め尽くされてしまい、自分の好きなマイナーアーティストを紹介しても届きづらくなった」という声が上がった。
僕は常々、自分のプロダクトは技術や機能だけでなく、価値観の次元で勝負したいと思っている。Chooningでユーザーが体験できることは、「人と音楽との関わり方はこうあってほしい」という僕の価値観に基づいている。具体的には、Spotifyなどのサブスク(ストリーミング)サービスで音楽を手軽に聴きながらも、その音楽について向き合って考えたり、些細な思い出を語ったり、同好者と共感し合う時間を持って欲しい、というものだ。そのためにユーザーがスムーズに音楽を共有したり、見つけたり、交流したりできる機能を充実させている。僕のようなタイプの開発者には、そうやって価値観を形にしたものに触れてもらい、それを心地よいと感じてもらいたいと思う欲望がある。機能の追加や変更は、自分の価値観をより明確に伝えるためのメッセージでもある。
だからこそ、仕様を変更したときに、それまで支持してくれていたユーザーが「これは求めているものじゃない」と言って離れていくのを見ると、価値観に共感してもらえなかった…という極めて個人的な喪失感を感じてしまう。それは、収益性の都合でユーザーに不満を持たれるよりもはるかに悲しい。収益性の向上はサービスの存続に不可欠であり、僕も運営者としての責務の一部として割り切ることができる。しかし、価値観の相違による意見の衝突は自分の気持ちの解決が難しい。「ごめんな、でも僕はこう思うんだ。分かってくれることがあれば嬉しい」と目を閉じるしかない。
離れていってしまったユーザーのことは、いつも少し心に棘が刺さったような気持ちで残っている。自分のプロダクトを作るということは、自分の価値観を形にして社会に届けるということだ。そこでは多くの「Not for me」の声も受けることになる。ストアからダウンロードした僕のアプリを、翌月も使い続けてくれる人がどれくらいいるだろう? その数字を見る度に、僕は他者との価値観の違いを認識する。あえて強がってみせるなら、それこそが、本気で物を作ることの面白さだと言えるかもしれない。
プロダクトには成長していく段階があり、それに伴って作り手と使い手の関係も変わっていく。ある時期を共に過ごしたユーザーの一部が次の時期に離れていくことは避けられない。頭では理解しているのだが、それでも、一度プロダクトを気に入ってくれたユーザーには、ずっと使い続けてもらいたいと願ってしまう。
ユーザーの声は大きい。少なくとも僕は、どんなに厳しい意見や的外れな批判でも、自分が生み出したものに対して感情を込めて意見をくれる人には感謝している。高校時代にゲームを作ったり、大学時代に友達とサービスを作っていた頃は、世の中の反応は全くなかった。それに比べれば、不満の声であったとしても「反応がある」というのは嬉しいことだ。作り手のモチベーションは、案外そんなものに支えられている。
2024-05-16
散歩のススメ 友達と散歩をしながら話すのが好きだ。「久しぶりに会って話そう」と自分から連絡をするとき、それはほとんど必ず散歩の誘いになる。友達からの連絡では、僕がお酒を飲まないので飲みの席ということはないのだけれど、レストランやカフェが指定されることは少なくない。そんな場合でも、僕はできる限り、「まず散歩をしよう」と提案するようにしている。
僕が散歩を好きな理由はいくつかあるが、まず一つは、しばらく会っていなかった者同士が必要とする調整の時間を取ることができるからだ。久しぶりに会う相手とは、しばしば会話のリズムが合わずにぎこちなくなることがある。しかし、駅で待ち合わせ、適当にテイクアウトした飲み物を片手に繁華街の喧騒を並んで歩いていると、次第にその「ズレ」が解消され、適切な感覚が戻って来ることを感じる。
恐らく「歩く」という行動を主体としながら「ついでに話している」という状況が、心理的な負担を軽減させているのだと思う。歩きながら話すというシチュエーションにおいて、言葉はあくまで「ついでに紡がれている」に過ぎない。だから、返答に時間がかかったり、適切な言葉を探すための沈黙も気にならない。様子を見ながらゆっくりと会話のリズムを整えていくことができるし、表情や視線を意識しなくていい。コミュニケーション(形式)にかかる労力を減らして、メッセージのやり取り(中身)に集中できるようになる。
店内での会話では、こうはいかない。飲食店に入ると、基本的に机を挟んで向かい合って座ることになる。きちんと向き合って相手の顔を見て話すことは、社会的に正しい(マナーに則った、礼儀正しい)コミュニケーションとされているが、正直に言えば、僕はこれをあまり居心地のよいものだとは思わない。互いに正対したまま話していると、言葉を身体に直接ぶつけられているような感じがするからだ。
一方、散歩のように横並びで話している場合、発した言葉は両者の前の共有空間に投げ入れられ、眼前をふわふわと漂うようになる。それはまるで一つの画用紙にそれぞれがペンで文字や図形を書き込んでいくような感覚で、ただ会話をしているだけなのに、何だか共創的な営みをしているような気持ちになるのだ。
横並びという状態に限って言えば、バーカウンターでも同じかもしれないが、僕はここに「歩く」という動作が加わることが重要だと考えている。
歩きながら会話することの最大の魅力は、互いの思考が協調的に働き、新たな洞察が生まれることだ。これは必ずしも意見の一致を意味するわけではない。相手の立場や考え方を理解し、取り入れながら、自分自身の考えを再構築していくプロセスだ。プログラミングに例えると、単にレスポンスを読むだけでなく、ログを読み解きながらアルゴリズムを想像するようなイメージである。
実際に僕は、友達との散歩の最中に物事への新しい(自分的ではない)視点を得ることがよくある。これは奇妙な現象だが、恐らく散歩における歩幅や歩行速度などの身体的な同期が影響しているのではないか、と僕は考えている。並んで歩くという行為は、互いに相手のペースを感知しながら、自身の歩調を調整し続けることになる。これは無意識に行われていることだが、文字通り「歩調を合わせる」という動作が、他者の思考を引き寄せる土壌を育んでいるのではないだろうか。さらに、このとき自分の身体は、普段とは異なるリズムを味わうことになる。それが脳の働きにも影響を与え、新たな視点に気づかせているのではないかと思う。
ときどき、一人で散歩をしていると、ふいにその道で交わした会話を思い出すことがある。会わなかった間の出来事や心境の変化など、景色と共に話した事柄が頭に浮かび、そして「ハッ」と当時は気がつかなかったことに気づく。その瞬間、僕はまるで友達に呼びかけられたような気持ちになり、またスマホを取り出して連絡先を手繰り始めているのだ。