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数日前に唯我くんから送られてきた PK shampoo のブログを何度も読み返してしまう。文章の勢いがいい。雑に書かれているようだが、引き込まれ、読ませられる。特に後半の思考の反芻をそのまま垂れ流しているようなところが好きだ。

https://pkshampoo.jp/%e4%b8%83%e6%9c%88/

俺は昔、家に居場所がなくて学校も大嫌いで、気質的に欲しいものも買いたいものも全然ないタイプだから働くことにも絶望的に向いてない自分にほとほと嫌気がさしてたけど、頼んでもないのに私はあなたの味方だよ、学校なんて辛かったら行かなくてもいいんだよ、みたいことを言いながら猫撫で声で擦り寄ってくるタレントやミュージシャンには絶対感化されたくなかったし、だからどんなにクソな人間関係や教育制度の荒波に飲まれようと真っ向から学校を卒業して絶対に社会に迷惑をかけてやるぞと目を閉じ耳を塞ぎ息を止めながら青春時代を早足で歩き抜けたのだが、このバンドはやっぱりその先というか道中で、つまりはどうしようもない大学生活の中で偶然出会った俺以上にバカな奴らとの縁で出来上がったものだし、アレは嫌だ!コレは失敗だ!とかgdgd言いながらでもとにかく続けてたらやっぱりその先というか道中で何か素晴らしいものに出会えるかもなあ、なんてことをぼんやり期待したりもする。まぁ実際にはこの先おもしろいことなんて何一つなくて、サルに当たりの確率下がっていくボタンを押させまくる実験みたいな状態に陥ってるのかもしれないし、さっさと関西戻ってレコードかけれるBARでもやりてえなあ、と三日に一回くらいは思うけど、それでも月に一回くらいは、たとえば今回のZepp DiverCityの時なんかは、やっぱり続けてて良かったなあと思ったりするものだ。

最近、食べかけの食事の写真ばかり撮っている。

食べる者にとって、食事のピークは決して盛り付けられた瞬間ではない。そこから食べ進め、形が崩れていくプロセスこそが行為の核心なのだから、そこを写真に残す方がおもしろいな、と気づいたのだった。

食べかけの皿を眺めていると、誰かがそこにいて、空腹を満たすような幸せな時間を過ごしたことが想像できる。それがとてもいい。

熊本地震の件で、台湾や韓国の友人たちから安否確認の連絡が届く。

「熊本と東京は900キロ近く離れているから」と説明しようとしたが、外国から僕の身を案じてくれた連絡に対してそれはなんだか無粋な気もしたので「I'm safe!」とだけ返していく。

熊本で震度7の地震。料理部の後輩で、湯前町に住むさっちゃんに連絡をする。

湯前は震度5弱だったが、少なくともさっちゃんの周りでは被害はほぼなく、電気ガス水道などのインフラも通ってるので、逼迫した事態ではないとのこと。高速道路が壊れてしまって通行止めになっているようなので、今後の物流が少し心配ではあるものの、ひとまず安心してくださいとのこと。

作家・東野圭吾が亡くなった。

TikTok の画面をスクロールしていると、一本の動画が流れてきた。菊池寛賞の贈呈式での一幕だった。

壇上の東野が、伊集院静から掛けられた言葉を振り返る。

「あんたと選考やるの楽しかったんだよ。だってあんたさ、話しているうちに意見変えるもんな。だから話しがいがあるんだよ。他の連中はさ、マルったらマルのままだろう。バツったらバツのままだろう。でもあんたはさ、マルが急にバツになったり、バツがマルになったりするからな。それがいいんだ。話しがいがあるんだ。」

そのエピソードを引きながら、東野は次のように語った。

「大変嬉しかったです。なぜならそんな風にコロコロ意見や考えを変えるのは私の得意技だからです。日本は政治家を筆頭にいったん言い出したら意見を変えちゃいけない。考えを変えたら恥だというような雰囲気があるような気がします。そんなことはないです。原発を勉強して危ないなと思ったら賛成から反対に転じて大いに結構じゃないですか。いくらでも意見変えて、そうしないと、話し合いって進まないじゃないですか。」

最後に、こう言葉を結ぶ。

「人間は変わったほうがドラマチックです。そうやって肩の力を抜いてどんどん変化して生きていきましょう。」