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新しいヘッドホンの調子がいい。

買った日の夜、少し触ってみてやや期待外れなかんじもあり、「これはやってしまったか……」と思っていたのだが、使っているうちに、だんだんとよく聴こえるようになってきた。

ヘッドホンを買い替えるのは八年ぶりである。以前使っていたのはBOSEの「QuietComfort 35 II」というもので、たしか購入当時で四万円くらいしたと記憶している。当時の僕にとって、いや、いまの僕にとっても、生活や仕事に「必要とまではいえないもの」に四万円という金額を払うのは、相当覚悟のいる買い物だった。しかし、結局八年も働いてくれたのだから、あのとき思い切ってよかったのだと思う。


QuietComfortとの出会いは、シナプスという会社で、同僚の北澤に貸してもらったことだった。あれは東新宿から秋葉原にオフィスが移った後だと思うから、二〇一六年か、二〇一七年のはずだ。

当時、僕は「クリエイターとして生きていくのだ」と腹を括り(それ以外の道が断たれたので仕方なかった)、稲着さんに「クリエイターというのは、どんな音楽を聴くものですかね」とマヌケな相談をした。稲着さんは少し考えて「ゴア・トランスを聴くとよいだろう」と教えてくれた。それを隣で聞いていた北澤が「それならこれを使うとよい」と言って、銀色のQuietComfortを貸してくれたのだ。

そこで僕は、そのヘッドホンで一日中、ワーバババー、ンババー、ンババワババ(ドゥンク! ドゥンク! ドゥンク! ドゥンク!)という音を聴きながら仕事をしていた。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、寝ているとき以外はずっと開発をしているような生活だった。会社のソファで寝てしまい、コードを書いている夢を見てハッと目が覚め、「ああ、夢か」と思ってiMacの画面を見ると、先ほど夢で見たコードがそこに書かれている、ということもあった。自分がどこまで起きていて、いつから寝ていたのかわからない。夢と現実の区別がつかなくなっていた。

ゴア・トランスは、そんな精神状態によく合う音楽だった。


その後、シナプスはDMMへとバイアウトし、メンバーは散り散りになった。僕は北澤にヘッドホンを返して、友人と制作会社を立ち上げた。

一貫して金欠であったが、少しまとまったお金が入ったタイミングがあり、経費を使って何か物品を購入できることになった。そこで、かねてより欲しかったヘッドホンを買おうと思い立ったのである。もっとも、経費といっても、会社の金だからと気軽に使えるわけでもなく、ほとんど個人事業主のような状況であったから、自分の財布から四万円が出ていくのと感覚としては何も変わらない。購入には慎重を期した。

その頃、外苑前のアソビシステムのオフィスに常駐していたので、行き帰りに表参道のApple Storeへ寄り、いくつかのヘッドホンを試聴した。一度では決められず、何度も通って、同じ曲を繰り返し聴いた。最終的には、北澤に貸してもらったものの後継機である「QuietComfort 35 II」と、SONYの「MDR-1000X」で決勝戦となり、そこから二、三度の延長戦を経て、QuietComfort 35 IIを選んだ。決め手は、軽さとイヤーパッドの柔らかさだった。結局、僕は作業をしながら長時間聴くのだから、頭に載せていて楽なものがよい、と考えたのだった。

購入した翌日に外苑前の路上で落とし、さっそく大きな傷をつけてしまった。あれだけ慎重に選んだ贅沢品に、たった一瞬の不注意で傷が付いてしまって酷く落ち込んだが、しばらくするとそれも個性のように思えてきて、その傷ごと愛せるようになっていった。

それから八年、雨の日も風の日もこのヘッドホンで音楽を聴き続けた。これまでいろいろなものを作ってきたが、どんなときも僕と一緒にいたのはこのヘッドホンだった。パソコンは何度も買い替えたが、このヘッドホンだけは変わらず、僕の仕事と共にあった。

イヤーパッドが傷むたびに交換したり、接触不良についても直し直し使ってきたのだが、先日ついにBluetoothの接続がうまくいかなくなった。修理は難しそうだった。「とっても大事にしてたのに」という、あのクラリネットの歌が、どこからともなく聞こえてきた。


新しく買ったのは、SHUREの「AONIC 50 GEN 2」というヘッドホンだ。

BOSEやSONYの最新機種も触ってみたが、どうもタッチ操作がしっくりこなかった。物理ボタンのあるものがよい。Sonos Aceのボタン周りのデザインはかなりよかったが、被ってみると、少し縦にシュッとしすぎているように見えた。これが「未来っぽい」かんじでウケているのかもしれないが、上品に収まりすぎている気がして、好みに合わなかった。また、今年のフジロックの現場で何度も見かけたことも少し引っかかった。回り回って、もう一度いままでと同じQuietComfort 35 IIを買うことも考えたが、充電端子がUSB Type-Cではないものをいまから買うのは、さすがに気が進まなかった。

SHUREのAONIC 50 GEN 2は、まず形が好きだった。無骨で、被ったときに頭の周りに大きなアーチができるのが、「音楽で武装している」かんじがして可愛い。音に関しては、人気のモデルと比べると少し心許ないかんじがした。BOSEやSONYのほうが低音が強く、音も煌びやかで、よく聴こえるが、しかしちょうど僕は「ドパるのをやめましょう」という気分になっていたところだったので、これくらい落ち着いている方がいいのかもな、と考えた。

そして何より、TBSラジオの『脳盗』や、台湾の音楽コンテスト「政大金旋獎」など、僕が好きなもののスポンサーとして、SHUREの名前をよく見かけていたことが決め手だった。(天野祐吉『広告論講義』の、消費者の成熟に比例して買い物の基準が価格から品質、そしてブランドへと移っていく、という話を思い出す。)


そうして新しいヘッドホンを迎えたのだが、実際に家に届いたものを開封したときには「うっ、やってしまったか」と思った。

まず、デカい。まあ、それはわかってはいたのだが、その上に、いままでのように小さく折り畳めない。何度か試聴したにもかかわらず、なぜか折り畳めないことには気づいていなかった。ヘッドホンケースは、QuietComfort 35 IIの二回りくらい大きかった。

ノイズキャンセリングも、僕の耳にはずいぶん弱く感じられた。新宿駅の雑踏の中で使ってみると、周囲の音が気になって、音楽がなかなか入ってこない。QuietComfort 35 IIを使っていたときには考えられなかったことだ。

低音が効かないので、ヒップホップのサウンドはだいぶ迫力が衰えてかんじられた。公式のアプリを落として、イコライザーで低音ブーストを有効にしてみたが「いや、これでは刺激に従順なこれまでと変わらないじゃないか、いかんいかん……」と慌ててアプリを削除した。

「ドパるのをやめましょう」などと考えていたわりに、いざそういった生活になるとこのザマである。八年間の付き合いというのは、そう簡単には抜けない。


そんなふうにして、新しいヘッドホンを生活をはじめて数日が経ち、最初に「あれ、この曲ってこんなによかったっけ?」と思ったのは、『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』の「You'd Be So Nice to Come Home To」だった。

あの、どこか頼りないようにも聴こえるアルトサックスが、やけにはっきりと耳に届いたのだ。頼りなさはそのままに、音の輪郭だけがくっきりと浮かび上がっているようなかんじだ。

この曲は、ノイズキャンセリングを切ったほうがよかった。効かせるとベースの存在が前に出てくるのだが、そのまま低音全体がぼやけてしまうように感じられる。僕は何度かノイズキャンセリングのモードを切り替えて、結局、切ったままがいちばんよいことを確かめた。


そして今日、トミー・フラナガン・トリオの『Overseas』の一曲目を聴いて、ヤバい、このヘッドホンはよいぞ、と確信した。

とくに、ブラシがスネアを擦る音と、ピアノの高い音が跳ねるところ。細かな擦れも、一音一音の弾みも、途中で何かに遮られることなく、スパンと耳まで届く。これまで何度も聴いたはずの曲なのに、気づくと「こんな音が眠っていたのか!」と、ワクワクしながら聴き入っていた。

聴き慣れた曲の中に、まだ聴き慣れない音が残っているというのは考えもしなかったことだったが、そういえば、何かのインタビューで中田ヤスタカが「特定のブランドのスピーカーでなければ聴こえない音を、曲に忍ばせておくことがある」と話していたことを思い出した。あれはこういうことか。

これまで聴いてきた曲の中にも

、まだまだ聴こえていない音があるのだろう。ひとまず、好きで聴いてきた曲を振り返って確かめていこうと思う。

おそらくこれから、三十代の残りと、それから四十代を、このヘッドホンで音楽を聴きながら過ごしていくことになるはずだ。また長く付き合っていけたらと思う。