僕の見た深セン、ロボットがいる社会

車に乗り込んだ全員がシートベルトをつけ終わると、車内のディスプレイに「運行開始」のボタンが表示された。助手席のクマガイさんがそれを押すと、中国語のアナウンスが流れ、後部座席の僕はまだ心の準備ができていなかったが、車はすうーっとあっけなく動き出してしまった。

「おお! 動いた動いた!」

「え、これもう走るんですか? 大丈夫?」

一般道に出ようとする車の中で、僕たちは慌ててスマホを取り出し、誰も座っていない運転席を撮影しはじめた。ハンドルが、撮影者を意識しているかのようにぐるぐると回ってみせる。まるで透明人間が運転しているようだ。

滑稽な運転席の先に広がる、ネオンライトが眩しい夜の中国の街並みを眺めながら、僕たちはいつの間にか笑ってしまっていた。


*


台湾の高雄で知り合ったケースケくんから「深センに来ませんか」と誘われたのは、八月の中頃のことだった。ケースケくんは今年の六月から現地の企業でインターンをしており、

「今日は深セン北部の工場見学に来ています」

「最近はこんなチップを交換する練習をしてます」

「昨日までは犬型でしたが、ようやく人型の修理の研修がはじまりました」

といった調子で、ときおり生活の様子が写真とともに送られてきていた。

工学的な知識はおろか、小学校で習う理科も怪しい僕は、到底その具体的内容を理解できるわけではなかったが、やりとりから彼が深センという町にすっかり魅了され、身も心も奪われてしまっているということだけは伝わってきた。

何事かにイカれてしまっている人間の話を聞くことほど楽しいことはない。ケースケくんから「一時帰国します!」と連絡を受けたとき、高円寺の銭湯に誘い出し、根掘り葉掘り現地の生活について尋ねた。すると深センの案内を申し出てくれたので、僕はすぐに興味のありそうな友人に連絡を回した。こうして、秋のシルバーウィークを使った「深セン見学ツアー」が発足したのであった。


ツアーは四泊五日の行程で、ソフトウェアエンジニアやデジタルプロモーションのプロデューサーたちと、深センの巨大な電気街である「華強北」というエリアに滞在しながら、RealMan や PaXini、Robot Anno、UBTECH といったロボット関連の企業を見学したり、ロボットの販売やレンタルができる体験型ストア「ロボット6Sショップ」や「INNO100」などの展示施設を巡った。移動手段として自動運転タクシーを使ったり、ドローン配送で食事を注文するなど、少し先の暮らしを覗くような経験もできた。

せっかくなので、僕が見てきた深センの様子と学んだことを、簡単なレポートとしてまとめておこうと思う。


電子部品から最新のガジェットまでが集まる、巨大な電気街・華強北

ロボットがいる社会を覗く

まず、深センに行く前は「街を歩けばそこらじゅうでロボットに出くわすのだろう」と思っていたのだが、さすがに、まだそこまでの未来的状況には至っていなかった。

ただ、僕たちが暮らす日本と比べると、人とロボットの接点は確かに多い。生活する分には、日本との状況的な差はわずかに思えたが、そのわずかな差というのが、実は決定的な差でもあるのだろう。

自動運転タクシーもドローン配送も、利用できるエリアは限られているものの、その範囲で暮らす人たちは、既に付き合い方を心得ているようだった。自動運転車の周囲を走る車は、車間を空けるなど、その存在を意識しながら運転しているように見えた。オフィスビルの間にあるドローンステーションには、近くで働く人たちが注文した食事を届けるドローンが行き来しており、その飛行音はなかなか耳障りで驚いてしまったのだが、通りを歩く人たちはまるで気に留めていない様子だった。


二足歩行のロボットによるダンスショーが行われるというので見に行くと、そこはたくさんの親子連れで賑わっていた。人波をかき分け、最前線でロボットたちが踊り出すのを待ち構える。

しかし、ショーはいまいちだった。二足歩行の技術として「これくらいのことはできるだろう」という想像を超えるものではなかったし、ショーの進行もお粗末だった。もっと何か凄い技術が見れるだろうと期待していたので、どうにも物足りなさを感じてしまった。

そんなショーの終盤、スタッフが「ロボットと踊りたい子は前に出ておいで〜!」と呼びかけると、会場のあちこちから子どもたちが「わーい!」とぞろぞろ出てきて、嬉しそうにロボットと踊りはじめた。

その光景を見て、はっとした。なんてこった。僕がロボットの出来栄えを品定めしている間に、この子たちはもうロボットと一緒に遊ぶことを楽しんでいるじゃないか。

僕はずっと「インターネットで何が起きたら面白いか」ということを考えながらものを作ってきていて、そもそもインターネットやスマホを「面白がっている」こと自体が、そうでない作り手との大きな違いだと思っている。しかし、ことロボットにおいて、自分と目の前の子どもたちの間にも同じような違いが生まれてしまっているのではないか、と気づいた。「置いていかれる」としたら、こういうことなのではないか。


ここにいる子どもたちも、そのうち何かを作るようになり、自分と競い合う相手になるだろう。僕は「態度を改めないといけない」と悟った。まずは「ロボットと一緒に何かをすることを面白がる」ことからであり、つまり、いま僕がすべきことは、この子たちと一緒になって踊ることである。

ただ、ここで僕のようなおじさんが「わーい!」と飛び出していったとき、子どもたちが受け入れてくれるかどうかはあやしい。ロボットに向けられたような高い受容性が、おじさんにまで向けられるとは限らない。

「五分五分、といったところだろうか……」

僕はゴクリと生唾を飲み込んだ後、しばらく逡巡し続けたが、結局、最後までその場から動き出すことはできなかった。


ロボット技術と向き合うまなざし

今回のツアーでは、専門性の高い友人たちと一緒に回れたことで、その観察の視点を学べたことも大きかった。なかでも、修士課程で培った工学の素養と、ソフトウェア開発の実務経験を持つ加藤真悟が注目していたのは、ロボットがその動きをどうやって覚え、別の仕事にもどこまで応用できるのか、ということ。いわば、「学習と汎用性」の話だった。


例えば、ロボットアームを手がける RealMan では、中国国内に動作の学習用データを集める施設があるものの、日本企業での利用を進めるには、日本にも同様の拠点が必要だという説明を受けた。中国で学習したことを、そのまま日本に持ってくるわけにはいかないのか、と尋ねると、地域ごとの細かな違いに対応する手間が大きく、結局は現地でデータを集めて学習させるほうが効率がよい、ということだった。

UBTECH で音声の指示に従ってリンゴやオレンジを掴むロボットを見たのだが、こちらでも学習の仕方を尋ねると、そのロボットでは「リンゴを掴めるようになればオレンジもそのまま掴める」というわけではなく、それぞれの掴み方を個別に学習させる必要があるという。実際の工場では、形が似ていても別の物であることが多いからだ、と説明された。

素人考えでは、リンゴを掴むことを覚えたら、オレンジとの違いに合わせてつかみ方を変え、「今度はこれを」と頼めるようにならないものかと思うが、僕たちが思っていたほど、覚えたことをそのまま別の場面に持っていけるわけではなさそうだった。

さらに、学習に使うデータを集める段階にも難しさがある。RealMan では、導入企業からデータの提供に同意を得られないケースも少なくないと聞いた。現場で使われれば、その経験がどんどん学習に回っていく、ということでもないらしい。


覚えたことを別の状況でも使えること。クマガイさんから、そんな応用力を広げるための研究として「世界モデル」というものがある、と教えてもらった。周囲の状況や、自分が取ろうとする行動から、その先に何が起こるかを予測するためのモデルだ。

ロボットでいえば、こう手を伸ばしたらどこに触れるか、こう押したら物がどう動くか、といった結果を見積もり、動き方を考えるのに役立てる。最近よく聞く「フィジカルAI」は、現実の世界を認識し、判断し、ロボットなどを通じて働きかける AI を指す言葉で、世界モデルもそれを支える技術の一つとして研究されている。

ニュース報道で、走ったり飛んだり跳ねたりしているロボットを見ていると、その身体でほかにもいろいろなことができそうに思えてくるが、そうした動きができるからといって、それを応用し、ただちに別の仕事にも対応できる汎用性まで備えているとは限らない。

LLM(大規模言語モデル)が学習内容を応用して、さまざまな文章の仕事に使えるように、ロボットも、学んだことを足がかりにできることを広げていけると話は早いと思うのだが、少なくとも今回各所で聞いた説明では「対象や現場に合わせた学習や調整が必要だ」という話が繰り返し出てきた。



ロボットに仕事をさせる環境で、物が変わったり、場所が変わったりするたびに、どこまで教え直す必要があるのか。そのためのデータを誰が集め、どうやって調整するのか。確かめたいのは、「ロボットが何をできるか」だけでなく、「それができるようにするために、人間が何をしなければならないのか」ということだ。

「自動」というのは、人間の気配を消してしまう言葉だ。目の前で人が手を動かしていないというだけで、その実現にどれだけの人たちが関わっているのかを、つい忘れてしまう。自動運転車に乗っているとき、僕は無人の運転席を夢中で撮影していたが、その車が走れるようになるまでに働いた人たちは、当然ながら写真には写らない。

「まるで透明人間が運転しているようだ」と思ったが、あの運転席には、まさに大勢の透明人間が座ってハンドルを握っていたのだ。ロボットを使って何かを作るなら、透明人間として何をする必要があるのか、という視点を持つようにしなければならない。


付録

深センという地域

香港空港からバスやタクシーで四十分程度。国境を越えていく。現在の人口は約1800万人(!)、平均年齢は32.5歳。とにかくハチャメチャに人が多く、勢いのある町だ。

さまざまな場所から人が集まってきており、「若い移民都市」と紹介されることが多い。「来了,就是深圳人(来ればあなたも深セン人)」という言葉もあり、よそ者を排除しない包容力があるとされている。この手の言葉は港町ではけっこう見かけるもので、例えば横浜にも「三日住んだらハマっ子」なる言葉があるが、深センではその三日すら待たなくていいというわけだ。(「三代住んだら江戸っ子」とはえらいマインドの違いである。)

深センはもともと電子機器産業が集まる町として知られていたが、スマートフォンなどの製造を通じて蓄積された技術や部品の供給網が活かされ、現在のロボット作りの発展につながっている。電子機器を作る工場自体が自動化のためにロボットを必要としているからだ。作るための技術があり、使いたい人も近くにいる、という環境が、深センのもの作りをどんどん加速させている。


自動運転タクシー

車内のディスプレイには、システムが認識している周囲の車や障害物と、これから車がどう動こうとしているかが表示されている。これを眺めているのがけっこう楽しい。隣の車のドアが開閉する様子まで反映されていて驚いた。車が何を見て、何をしようとしているのかが分かると、乗っている側としては安心する。

「人が運転していない」ことは思ったほど気にならなかったが、思えば僕は車を運転免許すら持っておらず、人が運転していても運転技量は計りようがないし、状況としてまな板の鯉であることには変わりないなと思った。

料金は20分くらい乗って日本円で約700円くらい。東京の感覚からすると安いが、そもそも人が運転するタクシーも同じくらいの料金で、そこに大きな差はないようだった。

ちなみに、自動運転タクシーは日本でも来年中に東京で運行開始予定だ。Waymo(Google)が自動運転技術を、日本交通が車両の管理や運行を担い、GOなどのアプリから配車できるようにするという協力体制。アツい。


配達ドローン

アプリで食事を注文するときに受け取り用のステーションを選び、届いたらそこまで取りにいく仕組み。(玄関まで飛んできてくれるわけではない。)

僕たちが見たオフィス街では、ひっきりなしにドローンが行き来していた。周囲の人たちは気にしていないようだったが、飛行音はかなり大きく、日本では新たな騒音問題に発展するのではないだろうか。

今回比べた範囲では、キャンペーンが適用されて、人が届けるフードデリバリーの六割ほどの料金。割引前ならだいたい同じくらいだったので、ドローンが運ぶことで安くなる、というわけではなさそうだった。受け取り用のステーションは、駐車場のように、街の空いている場所の使い道になるかもしれない。

友人たちとは「都市部と地方のどちらで利用が広がるだろうか」という話をした。オフィスワーカーの集中する都市部では注文が集まりそうだが、一方、僕がよく行く佐渡島のように、車では山を迂回して移動しなければならない場所では、空を越えられる恩恵が大きいかもしれない。


テレイグジスタンス(遠隔存在)

RealMan で、離れた場所にあるロボットを自分の動きに合わせて操作する仕組み「テレイグジスタンス」を体験した。単に遠くの機械を動かすだけでなく、映像や触覚などを通じて、あたかも自分がその場所にいるように作業することを目指す技術だ。

体験したものは、まだ動きがもっさりしているように感じたが、触覚のフィードバックを受けると確かに自分の手が何かに触れているような感覚があった。触覚フィードバックマジ大事。

この技術を使うと、例えば、人件費の高い地域のホテルで服やタオルを畳む仕事を、人件費の低い地域に住む人が行う、といったことが可能になる。南北問題のようなこと(豊かな地域が貧しい地域の安い労働力によって成長すること)は避けなければならないが、通勤できない場所の仕事に、自分の手を動かして参加できるようになるという点は面白いと思った。リモートワークの幅も広がっていく。危険な場所や宇宙での作業にも活躍の余地がありそうだ。(参考:JAXA の課題整理)


ロボットアームによる自販機

香港の街中で、ロボットアームがコーヒーをいれる機械を見かけた。しかし一杯のコーヒーが出てくるまでに三分くらい待つ。

「これなら普通のコーヒーマシンのほうがよいのではないか」と、僕が文句を垂れていると、加藤真悟が「これは汎用性を見せているのだろう」と説明してくれた。

ファミレスなどにあるコーヒーマシンは、基本的にはコーヒーをいれるための機械だ。一方、ロボットアームは、機械の構成やプログラムを変えれば、別の作業にも使える可能性がある。コーヒーをいれることも、試験管を扱うことも、腕相撲をすることもできるかもしれない。そういう機械が、コーヒーをいれること「も」できる、ということが重要なのだという。なるほど。

実際、その数日後に行った Robot Anno では、、コーヒーをいれるだけでなく、ラテアートを作ったり、カクテルをシェイクしたり、アイスクリームやタピオカミルクティーを作るロボットアームを見せてもらった。


スマートフォン修理店の集まるビル

壊れたスマートフォンを修理したり、改造したりする店が集まっている。中には、有名ブランドの模造品を作っている店もあった。言葉を選ばずにいえば「いかがわしい仕事」をしている店が多く集まっているのだが、それはそれとして、何かを作ろうとしたとき、部品が手に入り、手を動かせる人がこれだけ多くいるという環境そのものは、決して馬鹿にできない。

他所のものを手本に模造品を作っていたところから、独自のものづくりが育つ例はいくらでもある。偽物を作れば技術が育つ、という話ではないが、いま目の前で作られているものの評価と、それを作る人たちがこれから何を作れるかは分けて考えるべきだだろう。


人型ロボット

UBTECH では、人型のロボットが人間のような動作をしている様子をたくさん見せてもらった。

さて、ロボットは、なぜわざわざ人の形をしているのか。大川ちゃんが教えてくれたのは、僕たちの生活環境の多くが、人間の身体に合わせて作られている、ということだった。階段の段差も、ドアノブや作業台の高さも、人間が使うことを前提にしている。そういう場所にそのまま入って働くなら、ひとまずは人に近い身体にしておくことで都合のよいのだろう、ということである。

一方、最初から機械だけで動かす工場なら、移動経路を平らにして車輪で走らせたり、必要な場所にアームを固定したりする設計もできる。身体を環境に合わせるか、環境を機械に合わせるか、という話は、プロジェクトの設計可能な範囲に拠るものだろう。


ドローンと野生のエンジニア

さまざまなドローンを扱うビルも見に行った。日本でも一般的になっている撮影に使うようなものから、軍事用途の機体もあれば、サッカーボールのような形をしたホビー用のものなど、一口にドローンといっても幅が広い。

この大型のドローンは災害対応に使うもので、約四百万円。決して安くはないけれど、購入が非現実的というほどではない。

僕たちは五千円ほどのドローンを買った。夜、ホテルの前で飛ばして遊んでいると、操縦を誤って、七、八メートルの高さから地面に落としてしまった。すると、たまたま近くを通りがかったおじさんが、

「Drop test?(落下試験かい?)」

と笑いながら近づいてきた。そして墜落したドローンの状態を確かめ、羽のどこが故障しているのかを説明してくれた。なんと、彼はエンジニアだという。

もちろん、こんなことがしょっちゅう起きるわけではないだろうが、「ドローンを落としたらどこからともなくエンジニアが現れる」というのは実に深センらしい体験でコーフンした。


蘩樓の香脆明蝦紅米腸

もにゅっとした米粉の皮の中に、エビが入っている。その皮とエビの間に、天かすのようなカリカリした層が挟まっていて、噛むと柔らかいところと硬いところが一緒にやってくる。噛むたびに幸せな気持ちになる。深センに行く人にはぜひ食べてほしい。

繁楼(Google Map)