The shoulders of Giants
都市
都市は「読まれるべきテクスト」である、という言い方がたとえできるとしても、ひとはそれを、まるで書物を読むときのように椅子に腰かけて「外側から」読んでいるわけではなく、字義通りの意味で身をもって都市のなかに入り、そこで歩き、働き、遊び、食べ、憩うことを通じて、自分でも気づかない間に「内側から」読んでいる。そしてその際、彼は他者のまなざしに晒され、自らテクストの登場人物ともなっている。
つまり、都市というテクストにあっては、テクストの読者とテクストの登場人物を区別することができない。読む者と読まれる者、まなざす者とまなざされる者の関係は最初から相互媒介的であり、ひとは、そうした二重の役柄を無意識のうちに演じているのだ。ただしその場合、彼はこの都市=テクストのなかに自由に参入できるわけでは必ずしもない。都市のなかの読者/登場人物のまなざしの布置は、都市を構成する諸装置によって条件づけられており、ひとは、これらの諸装置に媒介された場のコードに従ってはじめてテクストの読者/登場人物となることができるのである。
(吉見俊哉、2008『都市のドラマトゥルギー』河出書房新社)
このように検討を進めてくると、七〇年代以降の〈新宿的なるもの〉の衰退が、われわれの身体感覚の変化とどう連動していたのかも明らかになってくる。六〇年代、「新宿」に集った人びとが醸成させていたのは、かつての「浅草」と同様、〈触れる=群れる〉という身体感覚であったと考えられるが、このような〈触れる=群れる〉ことは、関係性の回路の限定を不可能にし、われわれが前に「共同性の交感」と呼んだ変幻自在で自己増殖的なリアリティを構成してしまう。ところが、こうしたリアリティのあり方は、散乱する〈未来〉にとっては雑音として以上の意味をもち得ないのだ。
つまり、右にみたような〈演じる〉という身体感覚にとっては、種々雑多な身体が触れあい、群れていることは、ただたんに「ダサい(ナウくない)」のであり、「可愛くない」のである。したがって、七〇年代以降の都市空間で突出してくる〈演じる〉ことは、こうした〈未来〉への係留にとって雑音にしかならない諸存在を視界の外に排除していこうとする傾向を強くもつことになる。そこでは、他者たちとの直接的な関係はどちらかというとアリバイ的なのであって、むしろ人びとは、都市空間の提供する舞台装置や台本に従って、すでにその意味を予定された役柄を場面ごとに〈演じて〉いくことで、逆に他者たちとのコミュニケーションのコードを共有しているのである。
(吉見俊哉、2008『都市のドラマトゥルギー』河出書房新社)
新宿は歌舞伎町界隈が戦後の赤線の灯と闇市的な露天商文化を継承し、同時に左翼の学生や演劇青年、ミュージシャン等を抱え込み、雑多な群衆が集まるアングラ文化の拠点として60年代にピークを迎える。吉見は政治的・文化的・風俗的なものの尖鋭を吞み込み、エネルギーが渦巻くこの街の特徴を四つ挙げる──①「ありとあらゆる種類のヒトやモノを無差別に受け入れ、それでいておのれの独自性を失わない強烈な消化能力」、②「新宿という街は、過去を語るにはふさわしくない。ただひたすら現在が重要な街」(松本孝)として次々に新しいドラマが繰り広げられてゆく「先取り的性格」、③「次に何が起こるかわからない不確定性」を常に孕む「無限に変幻自在な顔」、④唐十郎のテント興行や西口地下広場でのフォーク集会等、「参与する人びと相互の濃密なコミュニケーションを媒介」に生み出される「共同性の交感」。「新宿」に群れ集った人びとが醸成させていたのは「〈触れる=群れる〉という身体感覚であった」。
一方、それに代わって1970年代から台頭する〈渋谷的なるもの〉の特徴は、西武資本系のパルコの戦略によって、「近代的」「現代的」な都会生活のスタイルで身を固めた若者たちが「私」を演じにやって来る「見る/見られる」のファッションの街である。触覚性を特徴とする「新宿」とは異なる視覚性が演出する街としての「渋谷」へ──。そこでは「種々雑多な身体が触れあい、群れていること」は、ただ単に「ダサい」のであり、「渋谷」は〈未来〉が(単一性を失いながらも)その都度「意味の備給によって保証されている盛り場」なのだ。
(北村匡平、2022『椎名林檎論 乱調の音楽』文藝春秋)