時間の長短の別はあれど、認めがたいことがあったとき必ずどこかで暴発していた。刑務所は制度がそれを許さない。サクマは身を以てあの罰の苦しさを知っていたので、ここへきて初めて罰を受けることの恐ろしさを味わった気がした。罰は受けている瞬間や受けた後なんかよりも、次受けるかもしれないというのが一番怖いのだ。外にいたときに感じた「おまえもこうなるぞ」という強迫観念と罰が持つ抑止力とは多分同質のものだ。
(砂川文次、2023『ブラックボックス』講談社)
The shoulders of Giants
時間の長短の別はあれど、認めがたいことがあったとき必ずどこかで暴発していた。刑務所は制度がそれを許さない。サクマは身を以てあの罰の苦しさを知っていたので、ここへきて初めて罰を受けることの恐ろしさを味わった気がした。罰は受けている瞬間や受けた後なんかよりも、次受けるかもしれないというのが一番怖いのだ。外にいたときに感じた「おまえもこうなるぞ」という強迫観念と罰が持つ抑止力とは多分同質のものだ。
(砂川文次、2023『ブラックボックス』講談社)
勧善懲悪の物語が成立するためには、冷酷非情な殺人者といった懲らしめられるべき〝悪人〟が必要だ。しかし、私は保育園などで、まだ生まれて間もない子供たちを見ていて思うのだが、この無邪気な子供たちの誰かが、将来、殺人者になるとして、それは本当にこの子たちの自己責任なのだろうか? 子供たちは、社会の中で様々な分人化を経験して、大人になる。そうすると、犯罪の責任の半分は、やはり社会の側にある。
(平野啓一郎、2012『私とは何か 「個人」から「分人」へ 』講談社)
「何か、よほどのことがあれば、人を殺してもいいという考え自体を否定することが、殺人という悪をなくすための最低条件だと思う。簡単ではないけど、目指すべきはそっちだろう。犯人のことは決して赦さないだろうけど、国家は事件の社会的要因の咎を負うべきで、無実のフリをして、応報感情に阿るのではなくて、被害者支援を充実させることで責任を果たすべきだよ。いずれにせよ、国家が、殺人という悪に対して、同レヴェルまで倫理的に堕落してはいけない、というのが、俺の考えだよ。」
(平野啓一郎、2018『ある男』文藝春秋)
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