これまで「意図の誤謬」(Intentional Fallacy)や「作者の死」(La mort de l’auteur)の名の下に、芸術家の意図は批評行為から排除されてきた。「誤読の権利」や「読みの多様性」と称して、作家の思想を恣意的に排除する身振りは、あまりにも怠慢であったと自省しなければならない時期にきている。作家のコード化のプロセスもまた作品を見極める重要なポイントに違いないからだ。
ただし、意図が表現に明確に反映されている場合もあれば、それを裏切って異なる表現が成立していることもあるだろう。むしろ作者が語り得なかったこと、あるいは作家の無意識的な実践のほうに芸術批評の営為は向けられるべきである。真に創造的な表現者は、意図やコントロールを超越したところで優れた作品を産み落とす。作品には(無意識的に)厖大な日常経験や偶発性が投影されているのだ。それを見逃すことなく作品の細部を見出すこと。そして作品が生成する歴史的条件=コンテクストにも目を配ること。そうすることで作品の内部に思いがけない作家の実践を発見し、作品を捉え直すことができると同時に、予想だにしない作品同士が共鳴し始めることだろう。
(北村匡平、2022『椎名林檎論 乱調の音楽』文藝春秋)