The shoulders of Giants
家族
飲み会や仕事があるとかで、長女の彼氏には結局誰も会うことはなかった。帰る新幹線の座席は、三列シートの通路側にあなたが座って、窓の方を眺めれば、自分が生んだ頭がそこに二つ見えることが、それ同士で笑い合って並んでいるのが不思議だった。小さい頃は銀行ごっこが好きで、お金のシワを伸ばしては、財布や区切った箱にずっと出し入れしていた。二人で向かい合って座り、長い時間絵を描いていた。一つの消しゴムをきちんと譲り合いながら使っていて、ちゃんと、それぞれの考えがあるようで感動した、この子たちほどの喜びはなかった。近くから見守り過ぎて、昔は主語や人称さえ混ざってしまっていた。互いが高校生の一年間は、二人は一切口を利かなかった。どちらかがリビングに来れば片方は舌打ちや威嚇の大きな音を出し、自分の部屋に戻っていった。片方がこちらを向き、窓を指差し楽しそうにあなたに早口で何か言う。この子の体はもう、一人用の座席にぴったりだ、高い声がマスクの中にこもりながら聞こえてくる。二人の目にはきっと、あなたの知らない景色が広がっている。あなたは頷いた、こうして分からなかった言葉があっても、聞き返さないようになっていく。
(井戸川射子、2024『この世の喜びよ』講談社)
祐治は晴海を思い、知加子の腹の中で成長をとめた子を思い、苦悩に悶えた。生きている間の辛苦は本人と共有できるが、死は別だ。死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける。
(佐藤厚志、2023『荒地の家族』新潮社)
母を追い出したのは父ではなく、むしろ自分ではないだろうか、という疑念が今も常についてまわる。自分が役に立ったとは思えないけれど、もっと家事を手伝っていたら。せめて話し相手になってあげればよかったのではないか。梅干しから味噌まですべて手作りする人だった。家族の誕生日は常に完璧に祝った。一年中、ひっきりなしに続く法事に駆けずり回り、来た人を手厚くもてなした。いつもおしゃべりで笑顔だったけれど、父の顔色をびくびくと窺っていることに翔子は気付いていた。母がたった一人の力で、この怠惰な集団を家族という体裁に整えたのだ。
(柚木麻子、2015『ナイルパーチの女子会』文藝春秋)
何不自由ない子供時代を与えてくれて有り難かったとは思うけれど、母のような犠牲者にはなりたくない。色々なことから自由でいたい。たかが、住む場所や食べるもののことで、命や心を削るなんて本末転倒ではないか。本来幸せに暮らすために必要な作業で不幸せになるなんて、これほどの矛盾があるだろうか。
(柚木麻子、2015『ナイルパーチの女子会』文藝春秋)
「何もしないほうがいい? 何もしないはないでしょ」キースが横からまた食ってかかった。「本当は色々できたんじゃないの」
パパは話が逸れるのを恐れるように、俯いたまま返事をした。
「色々って? 君がやったようなことをですか? それ介入って言うんじゃないのか」
「別にお父さんだって、何もしないってこと、ないですよね。手術とかそういうのをさせないってことをしてますよね。こうゆう未来もあるよって情報を教えないってことを、してますよね。大人になるまで待ってほしいとか言うけどそれ、あわよくばそのまま男でいて欲しいって思ってんじゃん。あんたの何もしないって、色々やってますよね」
(安堂ホセ、2024『DTOPIA』河出書房新社)
「べつに子供なんて男でも女でもいいんだよ」疲れ切ったようにパパは笑った。「っしょーじきな話。血まみれの赤ん坊が命がけで産まれてきて、それみて男か女かなんていちいち考えないだろ。それが本当の気持ちだよ。これが本当の親のエゴ。自分の子供なら、親は正直どっちでも可愛いです。まじでどっちでもいいの。親だけの気持ちでいったら、ね? でもさ汽水くん、そんなふうに子育てって決めれないんだよ。君もいつか子供持つか分かんないけど、その子が何をもって幸せかって、親が決めてはいけないんですよ。何をもって健康で、何をもって幸せと定義するのかって、あらかじめ基準がいっぱい決まってるんだよ。
いま、出生前診断っていうので世界的に障害を持った胎児の中絶が増え続けてるっていうのがあるんですけど……年々だよ? それは生まれてくる前の段階から、こうあるべきってことが決められてることも関係があるんだよ。これ綺麗事じゃない。ハーフの子供だってそう。同じようにうんと中絶の対象になってる。汽水くんやモモと同じような子供たちが、生まれてからも児童養護施設にたくさん預けられている現実があるんだよ。君のとこだって、お姉さん二人いるよね。それで末っ子の君が生まれて、その下にはもう、誰も生まれていないよね。そういう男の子が末っ子のきょうだいってすごく多いよ。多いけど、だからって親御さんに全く愛情がない訳じゃないでしょう。むしろ逆だよ。食い物ひとつとってもそう。この子にいいものをたくさん食べさせてあげたいって気持ちで与えるものが、本当にその子にとっていいものなのか。油断したら中毒を起こすかもしれない。それを一個一個親だけで判断するなんて、とても恐ろしくてできないんですよ。絶対に親だけで決めちゃいけないんだってことを、子育てしてると何度も思い知るんだよ。親なんてな、子供のこと、ほぼひとつも決めてあげられないから。 こうすべし、っていうマニュアルを一個一個執拗に潰しながら参照するしかないんだよ。男に生まれたら男に育つのが健康っていう、それが今のルールなら、おれはまずそれを参照する。僕はなるべく、自分の一番大切な子供がそうなれるように、監督する責任がある」
(安堂ホセ、2024『DTOPIA』河出書房新社)