トイレに行ってインスタントコーヒーを作って戻ってきた私は酸素飽和度が97に戻るのを待ってからiPhoneを手にする。
<中絶がしてみたい>
暫く考えてみて、そのツイートは下書き保存する。私はノートパソコンのブラウザからEvernoteを開く。炎上しそうな思いつきは取り敢えずここに吐き出して冷却期間を置くのだ。
<中絶と妊娠がしてみたい>
<私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう>
<出産にも耐えられないだろう>
<もちろん育児も無理である>
<でもたぶん妊娠と中絶までなら普通にできる。生殖機能に問題はないから>
<だから中絶と妊娠はしてみたい>
<普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です>
[…]
1996年にはやっと障害者も産む側であることを公的に許してやろうよと法が正されたが、生殖技術の進展とコモディティ化によって障害者殺しは結局、多くのカップルにとってカジュアルなものとなった。そのうちプチプラ化するだろう。
だったら、殺すために孕もうとする障害者がいてもいいんじゃない?
それでやっとバランスが取れない?
(市川沙央、2023『ハンチバック』文藝春秋)