The shoulders of Giants
可能性
そもそも、人間にはなぜ自由が必要なのでしょうか。ミルの考えでは、それは人間の可謬性と高い修正能力ゆえです。つまり、人間はえてして判断を誤るが、それを自由な討論によって修正する能力にも富んでいるというのです。それゆえ、ミルは自由の確保を「自分自身の可謬性に対して予防策をとる」ことと見なします。これは一種の「リスクヘッジ」と言い換えてもよいでしょう。[…]
人間は誰でも失敗する。この誤謬の可能性を織り込んで、人間の考えを最大限に多様にし、オープンな討論を経て意見を修正してゆくことが、ミル的な自由主義の基本的な考え方です。
(福嶋亮大、2022『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』星海社)
「いや、ヘンじゃないです、全然。音楽ってそういうものですよ。最初に提示された主題の行方を最後まで見届けた時、振り返ってそこに、どんな風景が広がっているのか? […] 展開を通じて、そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。そうすると、もうそのテーマは、最初と同じようには聞こえない。花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。そういうことが理解できなければ、フーガなんて形式の面白さは、さっぱりわからないですから。」
蒔野はそう言うと、少し間を取ってから言った。
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
(平野啓一郎、2019『マチネの終わりに』コルク)