2024-03-12
人混みは脳にクる
年始早々に台湾に渡り、約二ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。
空港からバスに乗り込んで横浜駅に到着し、冷たい冬の風を頬で感じつつ、懐かしい気持ちで駅の周りを歩いていると、なんだか胸の奥から不快感がこみ上げてきた。東口の歩道橋の端にスーツケースを置いて座り込む。それが人混みに酔ったのだと気づくまでには少し時間がかかった。僕はこれまで人混みに酔うような体質ではなく、「人混みが苦手だ」という人々の気持ちはまったく理解できなかったからだ。
地面に座り込み、深呼吸をしながら目を閉じると、周囲の喧騒が一層鮮明に耳に届いてきた。通行人の会話の断片が風に乗って流れ込んでくる。そしてふと、その感覚が久しぶりであることに気づいた。また同時に、体調不良の原因もこれかもしれない、という考えがよぎった。
台湾では、僕は中国語を理解できないため街を歩いていても頭は休んでいるが、日本に戻ってくると、言語の意味を自動的に処理する脳がフル稼働を始める。言葉の意味が分かるということは、それだけ脳に負担がかかるということでもある。久しぶりに叩き起こされた脳の部分が「勘弁してくれ」と音を上げているのだ。
思うに「人混みが疲れる」という現象は、人口密度の問題以上に、実は言語処理の問題が大きいのではないか。以前までの僕が人混みを苦にしなかったのは、無意識のうちに行える言語処理のキャパシティや強度が高かったからかもしれない。上京したての人が人混みにやられるのは、慣れない標準語の言語処理に特別な負荷がかかっているという説も考えられる。
「いいかい、こいつらの話に大した意味なんてないんだ。理解しようとしなくていいんだよ」
僕は自分の脳にやさしく語りかけ、ふらふらと立ち上がって家路についたのだった。
2024-02-23
台湾犬とちばてつや的光景
台湾・新北市の板橋(バンチャオ)という町に滞在している。台北の中心地から電車やバスで三十分ほどの距離に位置するこの町は、田舎というほどではないものの、台北に比べると地元の風情が色濃く、素朴な魅力が息づくエリアだ。首都から離れた分だけ観光客の賑わいも薄れ、飲食店や物産店であっても英語は通じにくい。ここでかれこれ一ヶ月ほど暮らしている。
バンチャオの町には野良犬がいる。よく見るのはその名もズバリ台湾犬というやつで、真っ黒で痩身の中型犬だ。これが人混みの中を首輪もつけずに悠々と歩いている。ただ、このあたりでは飼い犬であってもリードを繋がずに散歩している人も多いため、一見しただけではそれが野良犬かどうかの区別がつかない。いずれにせよ、この町の犬はそこらを自由にうろうろしている。
町の人たちの態度は概ね寛容的で、人流に逆らって突っ込んでくるものがいたとしても「あらあら」といった具合に笑って道を譲っている。老人が犬を手招きをして、懐から取り出した何か(肉か、パンか、大きな饅頭か)を食べさせている姿を目にしたこともある。
ふと『あしたのジョー』に出てくるドヤ街のことを思い出した。ちばてつやの漫画には、こういった生活の景色がよく描かれている気がする。きっと、1960年代頃までは日本でも同じような光景が見られたのだろう。
深夜、コンビニへ向かう小さな裏路地でギロリを光る二つの目と遭遇した。あれは野良犬というより野犬と呼んだほうが相応しい気がする。ほとんど本能的に足が竦んでしまった。
ときどき、キノコ採りの最中などに熊と遭遇した人が、決死の抵抗や機転によって命からがら生き延びたというニュースを見ることがある。犬程度でこの体たらくの僕なんかは、熊と対峙した日には腰を抜かしてしまって何もできないだろう。くれぐれも山林方面のアクティビティとは距離を置いた人生を送るよう心がけたい。